「ゲート 3」事件


ビクター マルティネスによる特別レポート

モデレーターの注記:

UFO スレッド リスト:

この電子メールは、2007 年 6 月 4 日火曜日午後 9:26 に最初に配信されました。

私が行ったのは、元のストリームを再現し、その後の修正を含め、元の投稿の末尾に次の新しいサブセクションを追加することです:

・ 訪問者用住宅に関する補足事項:

「ゲート 3」銃撃事件につながった詳細な背景情報!

・ 衝撃の暴露! 5 種のエイリアン種すべてを結び付ける「秘密」と、負傷したエイリアンのこれまで公表されたことのない公式の身元を解明しましょう!

・ ゲート 3 銃撃事件の衝撃: 血みどろで血まみれ、そしてまったく恐ろしい
悪名高い「ゲート 3 事件」の詳細がここで初めて明らかにされます!

・ カタログ化されたエイリアン種族とその天体起源

・ エイリアン文明の故郷に関する天文学的データ

・ 衝撃的: 20 年以上前の機密文書を引用し、匿名の人物が
特定の星座に起源を持つ 2 つのエイリアン種族を暴露
そして、新しい本と雑誌の記事が、その星座内にエイリアン生命体が存在することを確認した: 白鳥座腕… 必読!

・ 天の川銀河の構造: いて座を中心とする私たちの渦巻き銀河 (SABbc 型) の簡単な説明

・ 測定単位としての光年… それは正確には何ですか?

・ 推奨される参考資料

2007 年 6 月 4 日の元の電子メールを読んだ方は、下にスクロールして「訪問者用住宅」まで進み、そこから新しい資料をすべて読んでください。これは、他の開示トピックに進む準備として、このトピックの 3 番目のバージョン (できれば最終版!) になります。

「ゲート 3 事件」は、2005 年 12 月に私が「プロジェクト SERPO」開示の匿名の人物と定期的に連絡を取っていたときに最初に取り上げられたトピックです。

誰かが「ランプから精霊を解き放った」ので(ポール・マクガバン?)、私は現在、以下の機密情報を公開する許可を得ました。以下は、匿名の人物と彼の DIA の同僚が語った「ゲート 3 事件」の真実の物語です。

いつものように、私自身のコメント/発言は [ ] 括弧で区切られています。

電子メール メッセージ

送信者: 匿名

日付: 2005 年 12 月 15 日木曜日、午後 8:39 (PST+3)

宛先: Victor@***.net (ヴィクター・マルチネス)

件名: 脱出したエイリアンとゲート 3 事件

ヴィクター: 先日のお問い合わせありがとうございます。この事件について誰があなたに話したのですか?これは依然として極秘事項であり、私または私たちのグループ [DIA-6] のメンバーから別の指示を受けない限り、これはあなたと私の間だけの秘密です。

これはゲート 3 事件の真実の物語です。

日付: この事件は 1983 年 4 月に発生しました。

背景: ゲート 3 は、グルーム レイク コンプレックスへの入り口の指定でした。このゲートは、グルーム レイク コンプレックスとエリア 51 を結んでいました。グルーム レイク コンプレックスを囲むゲートは、民間警備会社 [Wackenhut Corp] の責任でした。コンプレックスには、民間警備と軍の警備が混在していました。

イベント: この事件は、エリア 51、S-2 施設に収容されていた「訪問者」[地球外生命体/ETE] が逃亡したときに発生しました。軍と民間警備隊による大規模な捜索が開始されました。訪問者は徒歩で、開いた金庫のドアを通って地下の S-2 施設から出ました。

物語: 捜索チームには、グルーム レイク コンプレックスのセキュリティ ディレクターと、コンプレックスの防諜担当官である空軍特別捜査局 [AFOSI] のエージェントが含まれていました。2 人は、グルーム レイクの裏門からエリア 51 に通じるゲート 3 までジープで移動していました。

ジープがゲート 3 に近づくと、OSI エージェントは、ゲート ハウスの外の必要な場所から警備員がいなくなっていることに気付きました。ジープが止まると、OSI エージェントはジープから降りて調査しました。

概要: OSI エージェントは、警備員を確認するためにゲートまで歩きました。OSI エージェントがゲートの正面玄関に近づくと、ゲートの内部に血が飛び散っていることに気付きました。OSI エージェントは、人間の体の小さな破片だけが残っていることに気付きました。

OSI エージェントはジープに戻り、中央セキュリティ管理部 (複合施設のメイン/プライマリ セキュリティ オフィス) に連絡して、発見事項を報告しました。セキュリティ ディレクターは、ジープに搭載された無線電話で自分のオフィスに連絡しました。自動拳銃のみを装備した OSI エージェントは、犯人を探してそのエリアを歩き回りました。

事件発生: OSI エージェントは、地下水路の近くに横たわっている「訪問者」を発見しました。OSI エージェントは訪問者に挑発し、降参するよう命じました。訪問者は立ち去り、OSI エージェントもそれに続きました。ある時点で、OSI エージェントは警告として訪問者に武器を発砲しました。訪問者は向きを変え、OSI エージェントに何かを向けました。

OSI エージェントは訪問者に直接発砲し、2 発の弾丸が訪問者の胸に直接命中しました。

45口径の自動拳銃。訪問者は地面に倒れた。追加の警備隊が到着するまでに約18分かかった。訪問者は収容室に入れられ、S-2施設に搬送された。訪問者は傷から回復した。

フォローアップ: この事件はFBIと空軍特別捜査局[AFOSI]によって調査された。

事件は機密扱いのまま。

エイリアンの身元: 「ゲート3事件」に関与した生物の名前はアーチクロイドだった。

A-R-C-H-Q-U-L-O-I-D

エイリアンは「ビッグノーズドグレイ」の1人として説明されている。それは身長 5 フィート 6 インチ、灰色または黄褐色の生物で、大きくて黒いつり目とキノコのような頭、4 本の長い指を持っていました。彼らは縦長の瞳孔を持つ黄色い目と、非常に大きなくちばしのような鼻を持っています。彼らはイーブ人によって遺伝子操作され (クローン?)、イーブ人による観察/検査/研究のために米国政府に提供されました。

訪問者の住居: この特定の訪問者は、エリア 51 の 8 階建ての S-2 施設の 2 階と 3 階の間にある「ザ バブル」、正式には「ザ クリーン スフィア」として知られています。私の記憶が正しければ、S-2 施設の南端にある「ザ クリーン スフィア」または「バブル」には 12 ~ 15 の区画がありました。

アーチクロイドと J-ROD はどちらも 12 ~ 15 の区画のうち 2 つに住んでいました。 「訪問者収容」と記された区画。ビクター、ここで注意すべき重要なことは、J-RODとアーチクロイドの生物は同一ではなく、一部の人が同一であると主張していることは完全に間違っているということです。逃げたのはアーチクロイドであって、J-RODではありません。

アーチクロイドは「クリーン スフィア」で主に生活し、大気圏で過ごす時間は最小限しかなかったため、大気圏への過度の露出が何らかの形でその正気と知性に影響を与えたのではないか、というのが私たちの推測です。さらに、そのせいで生物は妄想に陥り、方向感覚を失い、健全な推論、分析、判断を行う精神的能力を失いました。

巷の言い方では、それは「正気を失った」、または精神異常であり、それが厳重警備の「クリーン スフィア」施設からの脱出と、その結果の警備員の殺人の原因となっています。 ——————————————
電子メール メッセージ

送信者: 匿名

日付: 2007 年 6 月 9 日 (土) 午後 10:46 (PDT+3)

宛先: Victor@***.net

件名: ゲート 3 事件

ヴィクター: ゲート 3 事件に関するほぼ毎日、絶え間なく寄せられる質問や、訪問者に関する天文学的データへの質問には対応しきれません。現在、私は大量の文書に目を通していますが、その一部は夏から秋にかけて、あなたの大規模なリストや Serpo Web サイトを通じて公開される予定です。

あなたの質問の多くは私の調査が必要であり、他の重要な作業の妨げになっているため、2 人のメンバー [DIA-6] に直接連絡するように指示しました。私たちは全員、同じ声で話します。

彼らの反応を 1 人の個人としてまとめるか、分割するかは、私にとっては大した問題ではありません。私と私のグループは、あなたがどう進めたいかを完全に信頼しています。

訪問者用住宅の補足:
「ゲート 3」銃撃事件につながった詳細な背景情報!

送信者: DIA-6 のメンバー

ヴィクター: 1983 年 4 月の一連の不幸な事件につながった「ゲート 3 事件」の詳細な背景情報です。これはすべて、FBI と AFOSI の調査努力を統合した「ゲート 3 事件」に関する 300 ページのレポートで説明されています。

イーブ人は、自分たちが作った生き物を見せてくれました。そうです、彼らは「ラピッド サイクル クローニング」と呼ばれる方法を使用して、ほぼすべての生体組織を生き物にクローン化できます。 JROD はイーブ人によって作られた生き物でした。彼は知性があり、素晴らしい心を持ち、私たちの環境に素早く適応することができました。

2 番目の生き物、アーチクロイドは原始的でした。2 番目の生き物は奴隷のような形をしていました。それは制御され、命令を与えることができ、安全でした。少なくとも私たちは安全だと思っていました。2 番目の生き物は「脳チップ」によって制御され、小さなブラック ボックスによって機能的に制御されていました。

イーブ人はこの生き物を医学実験のために私たちに提供しました。JROD は、この生き物を制御しようとする私たちの努力に不満を抱きました。アーチクロイドの生き物は、JROD とテレパシーで完全にコミュニケーションをとることができました。ある時点で、生き物は自由になりたいという願望を示しました。JROD は生き物を解放し、こうして「ゲート 3 事件」が起こりました。

事件の後、JROD は安全な監禁施設に入れられました。アーチクロイド生物は、銃撃を生き延びて医学的に治癒した後、より安全な施設に入れられ、イーブ人から提供されたシステムによって拘束されました。

生物は、銃撃事件に関連するトラウマと脳活動の不全が重なり、約1年後に死亡しました。

この事件の後、JROD は二度と完全に信頼されることはなかった。彼は常に厳しい管理下に置かれていた。彼の癖は変わった。拘留期間が長くなったため、彼の気分は変わった。JROD は穏やかではあったが、これらの新しい措置に動揺していた。

衝撃の事実!5 つのエイリアン種族すべてを結びつける「秘密」と、負傷したエイリアンのこれまで公表されたことのない公式の身元を知ろう!

From: DIA-6 のメンバー

ヴィクター: 私たちのグループにたくさんの質問をするね。

各エイリアン グループとイーブ人の間には 2 つの共通点がある。
1 つ目のつながりは、イーブ人が各グループを発見し、彼らを文明化し、その後、他の種族とクローン化したことだ。これは非常に複雑な問題で、今回はあなたと話したくない。詳細はわかりませんが、基本的にイーブ人は各エイリアン グループの DNA を使って別のエイリアン種族を創りました。

2 つ目の共通点は DNA です。各エイリアン グループは、まったく同じ DNA を持っています。それがどのように可能なのかはわかりません。S-2 施設のレベル 2 は、JROD と他のエイリアン [アーチクロイド] が住んでいた場所です。各エイリアンを収容するための特別な収容施設があります。

ビクター、これまで公開されたことがないのは、2 番目のエイリアン、ワンショット [アーチクロイド] に付けられた名前です。USG はそのエイリアンを CBE-1、つまりクローン生物実体 1 と名付けました。

これは公式に公開されたことはありません。これは「初」です。

「アーチクロイド」という言葉は、A51 [エリア 51] の科学者が、エイリアンの種族を分類するために作ったものです。私たちは 5 種類を知っていましたが、すべてイーブ人から与えられたものです。私たちはそれぞれの種族に別の名前をつけました。特に、ゲート 3 事件で撃たれた生き物である「アーチクロイド」には。

イーブ人は他の種族のエイリアンをクローンしました。私の同僚の 1 人が最近書いてあなたに話してくれたように、これは本当に信じられないほど複雑な話です。しかし、アーチクロイドはイーブ人によって作られたクローン生物 [CBE-1] でした。すべてを説明するには何百時間も何千ページもの書面による説明が必要で、どちらも私にはできません。

クアドロイドもイーブ人によって遺伝的に作られました。クアドロイドは他の 2 つの種族からクローンされました。ですから、おわかりのように、これは本当に非常に複雑で、あまり深く掘り下げたくないのです。

エリア 51 の「S レベル」施設の数に関するご質問について: エリア 51 の S-2 施設には 9 つのレベルがあることだけをお伝えできます。各レベルと各施設で何が行われているかに関しては、基地のセキュリティを危険にさらす可能性があるため、その極秘情報を公開したくありません。この問題については、私たちのグループは全員一致でした。

ごく一般的な言葉で言えば、S-2 複合施設には 9 つのレベルがあります。これらは次の通りです:

レベル 1: 管理

レベル 2: 訪問者用収容所

レベル 3: 訪問者用航空機のオープン ストレージと作業場

レベル 4: 有害物質収容室

レベル 5: 推進システム テストおよび実験ステーション – APS

レベル 6: 訪問者用航空機の二次収容所

レベル 7: 金庫室 – 訪問者の贈り物の保管場所 [SERPO 投稿 #19 で参照]

レベル 8: 訪問者の高エネルギー デバイスの保管場所

レベル 9: 少なくとも 1995 年までは使用されていません

S-2 は 8 レベルの施設と呼ばれることがありますが、これは訪問者を収容するフロアがフロアとしてカウントされないことが多いためです。私は、基地のセキュリティ マニュアルに記載されているとおりにリストしました。

あなた方が他の政府高官とのつながりを築いていることは、私たち全員がよく知っています。ですから、もし他の情報源からさらに詳しい情報を得た場合は、先ほど述べた理由により、公表する前によく考えていただきたいと思います。各「S」施設の詳細な説明は、非常に高額な法的問題を引き起こす可能性もあります。

私はあなたの天文学に関する質問には答えられません。私たちのグループの別のメンバーが、多くのエイリアン種に関する広範な天文学データを持っています。彼に連絡してもらいます。

ゲート 3 銃撃事件の衝撃: 悪名高い「ゲート 3 事件」の血みどろで血まみれでまったく恐ろしい詳細が、ここで初めて明らかにされます!

発信者: DIA-6 のメンバー

「ゲート 3 事件」に関しては、誰もがそれぞれの意見を持っています。 「ゲート 3 事件」の銃撃に直接関わった OSI エージェントに関しては、誰も危険で厄介な状況に陥らせたくありません。
この情報の一部は依然として極秘です。

今日に至るまで、銃撃に関わった多くの人々は、特に封じ込めチームが向かっていて、ほんの数分しか離れていない状況で何をすべきだったかについて、依然として大きな意見の相違を抱えています。私は月曜の朝のクオーターバックだと非難されたくはありません。現場のエージェントは正しいと思ったことを実行しました。彼らは概して賞賛されましたが、その点については他のエージェントも意見が異なります。

[モデレーターにより意図的に削除された資料: 3 段落]

誰も警備員の哀れな点について言及していません。現場の調査により、警備員は爆縮されていたことが判明しました。アーチクロイドは[o]に武器を隠し持っていました。

アーチクロイドは、彼の体を撃ち殺した。回収され、保管された武器には、エネルギー指向ビームのようなものが含まれていた。ビームは警備員の体に当たり、それを爆縮させた。

残された体の部分の最大の部分は、25セント硬貨ほどの大きさだった。片方の眼球は無傷で見つかった。アーチクロイドは撃たれてから約1年間生きたが、医師が彼のすべての問題を適切かつ効果的に治療できなかったため、絶え間ない痛みに悩まされていた。

アーチクロイドから得た情報によると、300ページの報告書に記載されているように、警備員は彼を脅し、彼は自衛のために警備員を殺した。捜査により、警備員の拳銃(コルト.45オートマチック)は一度も発砲されていなかったことが明らかになった。

銃は破壊されていなかったため、別の興味深い点が浮かび上がる。警備員が銃でアーチクロイドを脅していたのなら、アーチクロイドはなぜ武器を破壊しなかったのか?ご覧のとおり、答えのない疑問が数多くあります。最後に、OSI 特別捜査官は 6 発の銃弾を発射し、アーチクロイドに 4 回命中させました。捜査官は 165 フィートの距離から発砲しましたが、これは本当に素晴らしい射撃です。

モデレーターの注記: 以下のセクションは、国防情報局内の秘密情報源によって書かれており、現在は「DIA-6」のメンバーです。彼は、訪問者の異常で機能不全で狂乱した、ヒステリックに近い行動の原因について、別の見解を持っているようです。匿名の人物は、カタログ化されたエイリアン種の下で情報を再開します。

「訪問者」の補足背景情報:

ヴィクター: この特定の「訪問者」は、医学的 [精神的/感情的] 疾患を患っていました。次の点を考慮してください:

– この生物は別の太陽系からこの惑星にやって来ました。

– 約 38 光年 [38.42] を旅しました。

– 特別な収容施設に閉じ込められました。

– 私たちの文明と文化に衝撃を受けました。

– 立ち去ることは許されませんでした。

– 厳格なコンプライアンス管理下に置かれていました (離れようとしたり、私たちの指示に従わなかったりすると、金属のストラップでショックを受けます)。

– 私たちの言語でコミュニケーションをとることができませんでした。

おそらく PTSS [心的外傷後ストレス症候群] に苦しんでいたのでしょう。

なんとショックでしょう! これは、1965 年に惑星セルポに向かう途中の 12 人のチーム メンバーが感じたのと同じ種類のショックです。この生物は OSI エージェントによって負わされた銃撃傷から回復しました。しかし、約 1 年後に死亡しました。

ちなみに、ボブ ラザールはエリア 51 で働いていました。彼もこの事件を知っています。 ——————————————
モデレーターのメモ:

「ゲート 3 事件」に関する 2 回目のより詳細なストリームを送信して以来、2 回目の投稿でリストされている外来種の起源について 90 件近くの問い合わせを受けています。匿名の人物が 2007 年 6 月 12 日火曜日の夜遅くに返信しました。

カタログ化されたエイリアン種族とその天体起源:

ヴィクター:

エイリアンの一部がどこから来たのかという質問に関して、米国政府が把握し、カタログ化したエイリアン種の完全なリストを以下に示します:

1) イーブ人 = ゼータ・レティキュリ座の惑星セルポ

2) アーチクロイド = 白鳥座腕近くの惑星ポンテル

3) クアドロイド = ゼータ・レティキュリ座の惑星オットー (イーブ人によって遺伝子操作された「カマキリ」とトカゲのような生き物)

4) ヘプラロイド = 白鳥座腕近くの惑星ダムコ

5) トランタロイド = ゼータ・レティキュリ座の惑星シラス

[注: 上記の一部は「プロジェクト セルポ」投稿 #19 に掲載されています]

注: ダムコとポンテルの両惑星は天の川銀河にあります白鳥座腕のかなり近くにあります。

・ダムコ は 11 個の惑星を含む太陽系から来ており、4 番目の惑星です。大きさは地球より少し大きいです。

・ポンテルは、太陽が地球とほぼ同じ大きさの、まったく別の太陽系から来ています。ポンテルは 5 番目の惑星で、地球より少し小さいです。

続きは後ほど…

– 匿名

エイリアン文明の故郷に関する天文学的データ:

1) 天の川銀河内の白鳥座腕。これらの白鳥座星雲 (ダムコと ポンテル の惑星を含む) は、すべて約 2,000 光年離れたところにあります。白鳥座の方を見ると、私たちの天の川銀河の平面に沿って散在する、驚くほど複雑な星雲の領域が見えます。明るく熱い超巨星デネブや、北アメリカやペリカンの放射領域、IC 1318「バタフライ」、三日月星雲やベール星雲などの人気の天体も確認できます。

輝く星間雲と密集した星野にシルエットを描いた暗い北の石炭袋も見えます。これは、天の川のグレートリフトを形成する一連の不明瞭な塵雲の一部です。太陽とともに、それらは私たちの銀河のオリオン渦巻き腕内にあります。

2) 星座: かに座、M44星団の「蜂の巣」! 蜂の巣星団は地球から約 580 光年離れており、わずか 10 光年に広がる星団に 350 個以上の星が含まれています。M44 は目立つ散開星団です。「プレセペ」や「蜂の巣」というニックネームで呼ばれるこの星団は、肉眼で見える数少ない散開星団の 1 つです。

M44 は、ガリレオが初期の望遠鏡を使用してこの星団の明るい青い星を分解するまでは星雲だと考えられていました。約 4 億~7 億 3000 万年前に形成されたと考えられる M44 のこれらの星は、他のほとんどの散開星団よりも大きく古いものです。強力な望遠鏡で見ると、何百もの星が見えるようになります。

3) 星座: おうし座、M45: プレアデス星団は地球から約 380~400 光年離れており、3,000 個以上の星で構成されています。最も明るい 9 つの星は、アトラス、プレオネ、アルシオネ、マイア、アステロペ、タイゲタ、カラエノ、メロペ、エレクトラです。おそらく天空で最も有名な星団であるプレアデスは、光害のある都市の奥深くからでも双眼鏡なしで見ることができます。

「セブン シスターズ」や M45 としても知られるプレアデスは、最も明るく最も近い散開星団の 1 つです。プレアデスには 3,000 個以上の星が含まれており、直径はわずか 10~13 光年です。優れた望遠鏡で見ると、明るい星団の星々の周囲に青い反射星雲が見えます。プレアデス星団には、低質量で暗い褐色矮星も発見されています。

4) 星座: レチクルム、ゼータ レチクル I と II は 5 等級の黄色い二重星系で、惑星セルポ、オットー、シラスは 38.42 光年離れています。惑星セルポの連星系であるゼータ レチクル I と II は、
セルポはレチクル IV です。

ゼータ レチクル I と II 連星系の惑星セルポは、レチクルム星座にあり、イーブ文明の故郷です!

http://www.solstation.com/stars2/zeta-ret.htm

– ゼータ レティキュリ I と II は、5.2 等級と 5.5 等級の 2 つの 5 等級の黄橙色の主系列矮星です。青ではありません。ゼータ レティキュリは 38.42 光年、つまり 225,968,400,000,000 マイル離れています。

– 2 番目に、ゼータ レティキュリ 1 は太陽の直径の約 91% で、ゼータ レティキュリ 2 は太陽の直径の約 99% です。

– 3 番目に、ゼータ レティキュリ I と II の星間の距離は 3670 億マイルで、共通の中心を周回するため、太陽と冥王星間の距離の約 100 倍です。

ゼータ レチクル I および II 恒星系

http://www.ufoconspiracy.com/reports/zetareticuli_star_sys.htm

ゼータ レチクル インシデント

http://www.gravitywarpdrive.com/Zeta_Reticuli_Incident.htm

天の川銀河の 4000 億の恒星… 私たちの銀河系周辺は、米国政府のコントロール フリークが公に何を言おうと、知覚力のある生命体であふれています… 本当に素晴らしいことです!

http://members.nova.org/~sol/chview/chv5.htm

衝撃:20年以上前の機密文書を引用し、匿名の人物が
特定の星座に起源を持つ2種のエイリアン種族を暴露。そして今、
真新しい本と雑誌の記事で、その星座:白鳥座腕にエイリアン生命体が存在することが確認された…必読!


白鳥座の謎: 宇宙における生命の起源の古代の秘密を解き明かす – アンドリュー・コリンズ著、ISBN# 1842932020、$24.95、368 ページ

フラッシュポイント: 遠い過去と遠く離れた星から、私たちが誰であるか、どこから来たのか、そしてこれからどこへ行くのかに関する私たちの知識をすべて変える啓示がもたらされます。

白鳥座の腕星座は、生命は天空で生まれ、最終的にはそこに戻るという人類の古くからの普遍的な信念を解き明かす鍵です。ベストセラー作家のアンドリュー・コリンズは、この長年信じられてきた信念は、世界中の立石、寺院、記念碑が白鳥座の星に向けられている、約 17,000 年前の天文学から生まれたものであることを発見しました。

古代の人々は、世界中で、天の位置、つまり宇宙の生と死の源を、同じ空の部分、白鳥座に定めていましたが、なぜでしょうか?

世界最古の寺院から最先端の天体物理学まで、アンドリュー・コリンズは、私たちの最も遠い祖先が信じていた最も古い信念を解明する、並外れた歴史的探求に答えを求めます。

白鳥座の謎…

† 私たちの祖先は、現在科学が教えてくれていること、つまり生命は星々の中から生まれたことを知っていたことを明らかにし、

† 白鳥座が世界のすべての宗教の根源にあることを示しています。

† 旧石器時代の洞窟のシャーマニズム芸術から大ピラミッドの基礎まで、ペルーのアマゾンのサイケデリックな旅からフランシス・クリックの二重らせんの発見まで、生命の DNA そのものをたどります。

† 天文学、文学、古代の宇宙論、さらには大洋横断航海の起源を指摘しています。これらはすべて、人類にとって突然の変化が起こった約 17,000 年前のことです。

† 古代の洞窟の壁にある高エネルギーの亜原子粒子が、CYGNUS X-3 として知られる連星から来たという説得力のある証拠を示しています。この連星は強力な宇宙線の発生源であり、地球に到達して人類の進化を加速させたと考えられます。

最後の氷河期に起こった現象。

ボーナス!ATLANTIS RISING マガジンの 2007 年 7 月/8 月号 (現在書店で販売中) には、グレッグ リトル博士による「ポピュラー サイエンス ライターは、人類の進化と白鳥座のつながりを発見したか?」と題する 5 ページの記事が掲載されています (32-33 ページ、63-65 ページ)。


抜粋:

白鳥座が古代人にとって非常に重要だった理由は、前述の事実から簡単に答えられます。白鳥座で最も明るい星はデネブで、17,000 年前には北極星でした。

しかし、これにはさらに興味深い側面があります。白鳥座は、天の川銀河の「グレート リフト」と呼ばれる重要な分岐点にあります。この地点で天の川は暗く濁った領域で区切られた 2 つの長い辺に分かれます。

天の川のこの正確な位置は、多くの古代の宗教体系において重要な要素となってきました。古代の人々が抱いていた最も神秘的で重要な宗教的信念は、魂の起源と運命に関するものでした。天の川と大地溝帯は、魂に関する古代の信念の中心となる特定の地理的位置です。
– 32 ページ、第 3 列、段落 #2 と #3。 ——————————————
天の川銀河の構造: いて座を中心とする渦巻銀河 (SABbc 型) の簡単な説明:

天の川銀河は、太陽系の他、少なくとも 2,000 億個の他の恒星 (最近の推定では約 4,000 億個) とその惑星、数千個の星団や星雲 (メシエのカタログにある、それ自体では銀河ではない天体のほぼすべてを含む) が存在する銀河です。

天の川銀河内のすべての天体は、「銀河中心」と呼ばれる共通の質量の中心を周回しています。銀河としては、天の川銀河は実際には巨大で、その質量はおそらく太陽質量の 7,500 億から 1 兆倍、直径は約 10 万光年です。水素雲の分布に関する電波天文学的調査により、天の川銀河はハッブル型 Sb または Sc の渦巻き銀河であることが明らかになりました。

したがって、私たちの銀河には、渦巻き構造を示す顕著なディスク要素と、顕著なバルジ/ハロー要素の一部である顕著な核領域の両方があります。10 年にわたる観測により、天の川銀河にも棒状構造 (SB 型) がある可能性がますます明らかになっており、M61 または M83 のように見え、おそらく SABbc として分類するのが最適でしょう。

最近の調査により、天の川銀河には棒渦巻き銀河 M58、M91、M95、または M109 のような顕著な中心棒があり、ハッブル型 SBb または SBc である可能性があるという仮説が裏付けられています。

天の川銀河の構造について

天の川銀河は「局部銀河群」に属し、3 つの大きな銀河と 30 を超える小さな銀河からなる小さなグループで、巨大なアンドロメダ銀河 M31 に次いで 2 番目に大きい銀河です。

http://antwrp.gsfc.nasa.gov/apod/ap061126.html

しかし、おそらくこのグループの中で最も質量が大きい銀河です。約 290 万光年離れた M31 は最も近い大きな銀河ですが、それよりはるかに近い微光銀河もいくつかあります。矮小な局部銀河群のメンバーの多くは、天の川銀河の衛星または伴銀河です。

すでに述べたように、最も近い 2 つの近隣銀河は最近になって発見されました。2003 年に発見された最も近い銀河は、すでにほぼ崩壊した矮小銀河である CANIS MAJOR DWARF で、その核は地球から約 25,000 光年、銀河中心から約 45,000 光年離れています。

2 番目は SagDEG で、地球から約 88,000 光年、銀河中心から約 50,000 光年離れています。これらの 2 つの矮小銀河は現在、私たちの銀河と接近しており、軌道の一部は天の川銀河が占める体積のかなり内側に位置しています。これらの銀河のすぐ後には、より目立つ大マゼラン雲と小マゼラン雲があり、それぞれ 179,000 光年と 210,000 光年離れています。

天の川銀河の渦巻き腕には、星間物質、拡散星雲、そしてこの物質から生まれた若い星と散開星団が含まれています。一方、バルジ部分は古い星で構成され、球状星団を含んでいます。私たちの銀河にはおそらく約 200 個の球状星団があり、そのうち約 150 個が知られています。

これらの球状星団は銀河中心に向かって強く集中しています。空での見かけの分布から、ハーロー・シャプレーは、天の川銀河のこの中心は、射手座の方向にかなりの距離 (彼はそれを何倍も過大評価しました) にあり、以前考えられていたほど私たちの近くにあるわけではないと結論付けました。

したがって、私たちの太陽系はこの銀河の外側の領域、つまり円盤の内側にあり、赤道対称面(銀河の北極の方向)からわずか 20 光年ほど「上」ですが、銀河の中心から約 28,000 光年離れています。したがって、天の川は、この対称面に沿って空全体に広がる明るい帯として現れます。

銀河赤道と呼ばれています。

その中心はいて座の方向にありますが、さそり座とへびつかい座の両隣の星座の境界に非常に近い位置にあります。28,000 光年という距離は、最近 (1997 年)、ESA の天体測定衛星ヒッパルコスのデータによって確認されました。

その後発表された他の調査では、この値に異議を唱え、恒星の力学に基づいて、より小さい 25,000 光年という値を提案しています。最近の調査では、約 26,000 光年という結果が出ています。このデータは、たとえ重要なものであったとしても、天の川銀河内またはそれを超えた特定の天体の距離の値に直ちに影響を与えるものではありません。

太陽系は、ローカル腕またはオリオン腕と呼ばれるより小さな渦巻き腕の中にあります。これは、内側と外側の次に重い腕であるいて座腕とペルセウス腕の間の単なる接続です。

太陽は、太陽系全体とともに、ほぼ円形の軌道で銀河中心を周回しています。私たちは約 250 km/秒で移動しており、1 周するのに約 2 億 2000 万年かかります (したがって、太陽系は約 46 億年前に形成されて以来、銀河中心を約 20 ~ 21 回周回しています)。

全体的な銀河の回転に加えて、太陽系は、約 20 km/秒の速度で隣接する星の間を移動しています (固有運動)。「太陽の頂点」と呼ばれる方向に向かっており、おおよその位置は RA=18:01、Dec=+26 (2000.0) です。この動きは 1783 年にウィリアム ハーシェルによって発見されました。

美しい: ユタ州モアブ近郊のキャピトル リーフ国立公園から見た天の川銀河!

http://antwrp.gsfc.nasa.gov/apod/ap060801.html

測定単位としての光年… 正確には何ですか?

光の速度はどれくらいですか? / 「光年」とは何ですか?

光は 1 秒あたり 186,170 マイルで移動します。

つまり、1 年間で光は 5,871,057,120,000 マイル移動します。

これは 5 兆 8710 億 5700 万 120,000 マイルです。

これは次のように求められます:

186,170 マイル/秒 x 60 秒/分 = 11,170,200 マイル/分 x 60 分/時間 = 670,212,000 マイル/時間 x 24 時間/日 = 16,085,088,000 マイル/日 x 365 日/年 = 5,871,057,120,000 マイル/年

= 光が 1 年間で移動できる距離 = 光年の測定単位。

最も近い恒星、アルファ ケンタウリまでの距離: 4.3 光年

天の川銀河 = 幅 90,000 光年 / 厚さ 3,000 光年

天の川銀河の星の数: 約 4,000 億

宇宙の銀河の数: 約 500 億

宇宙の星の数: 約 500 億兆

光ナノ秒: 光が 10 億分の 1 秒で移動できる距離 = 約 1 フィートまたは 12 インチ (30 cm)。

天の川銀河の中心には、光時間の幅を持つ「ブラックホール」があります。以下をクリックしてご覧ください:

http://antwrp.gsfc.nasa.gov/apod/ap021018.html

今後の「プロジェクトセルポ」のために手元に用意しておくとよい参考資料

優れた天文学の本は数多くありますが、40 ポンドのエナメルコーティング紙に印刷された素晴らしい天体画像と鮮やかなカラー プレートを備えた最高の 2 冊は次のとおりです。

UNIVERSE: THE DEFINITIVE VISUAL GUIDE – General Editor Sir Martin
Rees、ISBN# 0756613647、$50.00、512 ページ。

THE ILLUSTRATED ATLAS OF THE UNIVERSE – Mark A Garlick 著、ISBN#
1740893778、$19.98、304 ページ。

また、カラー プレートがほとんどなく、主に百科事典のようなスタイルのテキストを備えた最高の本は次のとおりです。

THE UNIVERSAL BOOK OF ASTRONOMY: FROM THE ANDROMEDA GALAXY TO THE ZONE
OF AVOIDANCE – Dr David Darling 著、ISBN#0471265691、 40 ドル、570 ページ
http://www.daviddarling.info/

私は 3 冊すべて持っており、すべてについて保証できます。

モデレーターのメモ:

生命が芸術を模倣している? この機密ゲート 3 事件が真実であることを知っている人は、地球上の ET の存在に関する認識のパラダイム シフトを経験したはずです。これは、政府による長年の隠蔽と否定とは対照的です。

悲しいことに、ET の「訪問者」は、理由が何であれ、別の惑星からの大使ではなく、逃亡者の立場にあり、即座に USG c/o AFOSI エージェントの拘留下に置かれました。

余談ですが、銃でETを撃った事件は、「X-ファイル」のテレビエピソード「E.B.E.」シーズン1、エピソード16、放送日: 1994年2月18日の終わり近くに簡単に説明されています。

「ディープ・スロート」は、かつてETを故意に撃ち殺したことがある、とモルダー捜査官に非常に悲しげに告げました。だからこそ、彼はモルダーを大いに助け、この行為を償ったのです。


注 – このウェブサイトは現在、Open Minds Forumの管理下にあります。私たちは、既存のウェブサイトを情報アーカイブとして維持し、私たち自身またはヴィクター・マルチネスが受け取った更新情報も提供するつもりです。読者の皆様には、フォーラムにアクセスして議論に参加することをお勧めします。詳細については、admin@serpo.orgまでお問い合わせください。

セルポは死んだ

セルポは死んだ…セルポ万歳

[「王は死んだ…王万歳」より。これは、現国王の死にもかかわらず王政が継続したことを祝う伝統的な英語のフレーズである。]

または:

交換プログラムがほぼ確実に行われ、私が今、他のことに移っている理由…


2006 年 8 月以降、セルポ に関する情報は公開されていないため、読者が、偽の情報が何度かあったにもかかわらず、もうこれ以上は存在しないと推測しても無理はありません。これは私自身も現在共有している推測です。

2006 年 12 月、Victor Martinez が偽物であることが判明した多数の写真を受け取った後、私は初めて、今お読みいただいているこの更新ページを作成しました。私の意図は、このサイトを別のウェブマスターに引き継ぎ、Project Camelot にフルタイム (95% の時間ではなく) で集中することでした。Project Camelot は、情報開示を支援し、内部関係者や政府機密に関するその他の重要な証人とのインタビューを無料で公開しています。

当時、私は、舞台裏のストーリーの一部であった内部関係者の少なくとも一部が、2007 年のラフリン UFO 会議に出席している可能性があるという理由があったため、投稿を控えました。しかし、会議は終了したばかりで、1 人を除いて誰も出席していませんでした。この男性は、鷲鼻の顔立ちでパイロットジャケットを着ていた年配の男性で、私がまたそこにいるのを見て明らかにショックを受けていたのが、とても興味深い。

私は昨年の会議で彼と会ったことがあり、そのとき彼はポール・マクガバン(UFO 関係者の間ではよく知られている元 DIA 職員)で、偽名で出席していると聞いていた。昨年、この男性は確かに私に並外れた関心を示し、会議が終わった後、仲介者を介して私に「彼の話を信じたか」尋ねるメッセージを伝えたと聞いた。

今年、彼と再会したので、私は彼と対決したが、彼は最後まで共謀を否定して給料を稼いだ。結局、これ以上進展がないと判断して、私は彼を放っておいた。入手可能な写真をすべて分析した結果、彼がポール・マクガバンだとは思わないが、DIA のエージェントであることは確かだ。エージェントは UFO コンベンションを頻繁に巡回しているので、それは驚くことではない。しかし、これもまた、進行中のセルポの陰謀の煙幕と鏡に加わるに過ぎません。いつものように、決定的なことは何も起こりませんでした。

一方、そしてもっと多くの実質を強く示唆するものとして、私は2月17日のCoast to Coast AMラジオのインタビューで、ケリー・キャシディと私が、非公式に、ミッションに参加したチームと一緒に訓練を受けた予備のセルポ宇宙飛行士であると聞かされた年配の男性と連絡を取った話をしました。全容は以下で紹介されており、興味深い読み物となっています。 (読者の皆さんは、以下に名前を挙げない、苛立ちながら私たちに連絡してきた上級 CIA エージェントの正体が、ダン・スミスのブログを注意深く読めば推測できることに興味があるかもしれません。そのエージェントは、Salmo Irideus、つまり Troutfish の頭文字を取った「SI」として特定されています。)

害や失礼を意図したわけではなく、機密を漏らすつもりもまったくなかったのですが、私たちは明らかに DIA と CIA の両方の足を引っ張っていました。なぜなら、現在 セルポ の伝説で「老人」として知られている人物に私​​たちが実際に連絡を取ることになるとは誰も想像していなかったからです。これが起こったことです:


2006 年 2 月まで遡って、予備のセルポ宇宙飛行士とされる人物の名前を教えてもらった。これは諜報機関のメンバーとの会話の中で自然に起こった。また、この人物が住んでいる大まかな地域も教えてもらった。

数か月後の 4 月 21 日、ケリー・キャシディと私は、自分たちでちょっとした行動を起こすことにした。インターネットで検索して、彼の名前、住所、電話番号を見つけた。そこで、彼に手紙を書くことにした。

手紙は FedEx で送られた。手紙には、支援の意が表明され、彼の ID と連絡先は誰にも明かさないと約束し、守秘義務の条件が満たされていれば、プロジェクト キャメロットのインタビューで情報開示の取り組みに喜んで協力し、可能であれば直接連絡を取りたいと書かれていた。

手紙は配達され、署名もされたが、その後は沈黙が続いた。彼は返事をしなかった。私たちは、間違った人に手紙を書いたのではないかと疑い、すべては間違いだった。

その後、9 月 8 日に突然、* (非公開とマークされていない) から次のようなメールが届きました。

ガールフレンドとカメラを持って [] さんに会いに [] に行きましたか?

彼の名前と住所はどこで知りましたか?

私たちは「ありがとう、」と思いました。素晴らしい確認です。これは の失言でした。

何が起こったかについての の考えの歪み (および 4 か月半という時間の遅れ) から、私たちはこれが DIA を経由して CIA の上層部に報告され、その後 に報告され、その過程で間違いが蓄積されたのではないかと考えました。(* がまだ CIA の給与支払いを受けている可能性を判断するのは他の人に任せます。)

私は * の質問に返信しませんでした (もっと話してくれることを期待していました) – そして彼は返信しました。

10 月 6 日、彼は他の事柄について私宛に電子メールを送り、ビクター・マルティネス、ロバート・コリンズ、マリリン・ルーベン、ブレンダン・バートン、ラリー・ディッケンに CC して、次のように書きました。

カメラと録音機器を持って侵入し、老人にインタビューしようとしたことについては、プライベートな問題として、回答しないことに同意します。

ありがとう、*。これで、彼が老人であることが分かりました。(もちろん、私たちは彼に会ったことはありませんでした。)

12 月、ビクターと久しぶりに会ったとき、ビクターは、私たちのささやかな取り組みで DIA を大いに苛立たせたと彼も聞いていたと語りました。そして (重要なことですが)、これが、私が (FedEx の手紙を受け取った直後に) セルポ のリリースを直接受け取ることに関して突然連絡が途絶えた理由だと言いました。 (現在進行中の騒動について学んでいる人なら、その時にリリースがビクターに戻ったことを思い出すでしょう。)

一方、11月に、ケリーと私はこの男性を直接訪ねることにしました。私たちは、最大限の礼儀を尽くした手紙を準備し、手渡しで渡しました。それから、携帯電話をテーブルに置いて、数時間コーヒーショップでくつろぎました。そして、事前に決められた時間後に再び家に戻りました。

手紙の内容は次の通りです。

親愛なる * 様、

[] からあなたの名前を教えていただき、[***] の電話帳であなたの住所を見つけました。今年 5 月に、FedEx であなたに安全な個人手紙を届けました。

あなたが定める機密保持条件の下で、直接あなたと話す機会をいただければ幸いです。セルポ のストーリーを公開するあなたの取り組みに、私たちがどのように協力できるかについて話し合いたいと思っています。この 1 年間、進行中の公開が多くの困難に直面していることは承知しています。

私たちは、要求された機密保持を侵害するようなことは何もしたくないことを強調したいと思います。私たちは何ヶ月も前からあなたの身元と連絡先を知っていますが、他の誰にも明かしていません。私たちは完全に信頼できると確信しています。

私たちは午後 7 時まで [] にいます。あなたまたは他の同僚が私たちと会うことに興味がある場合は、(**) *** **** までお電話ください。ご連絡をお待ちしております。

心よりお祈り申し上げます。

ビル・ライアン
ケリー・キャシディ

私たちは手紙を届けた。そして、最も興味深いことに、私たちが到着すると、計画を誰にも知らせていなかったにもかかわらず、その男性の妻が門のところで待っていた。私たちは追跡されていたか、車に盗聴器が仕掛けられていたかのどちらかで、どちらも驚くようなことではない。年配ではあったが、若い頃は力強く運動能力に優れていたように見える男性本人が、20~30ヤードほど離れたドアのところで私たちを見ていた。私たちは礼儀正しく敬意を表し、彼女に手紙を渡し、すぐに立ち去った。

私たちは午後7時まで待ったが、電話は鳴らなかった。

12月中旬、私は再び*から連絡があり、カメラと録音機器を手にして男性を訪ね、インタビューを依頼したと聞いたという。(メッセージは非公開とマークされていたため、コピーしません。)

私は上記のコピーした手紙の本文をに送り、男性自身が嘘をついているか、または彼、が情報源から故意に誤った情報を得ているかのどちらかであると説明した。 (* が身元不明の人物から私に関する悪意ある虚偽の情報を与えられていたのは今回が初めてではない。)

このどれも、その男性が宇宙飛行士だったことや、セルポが存在することを証明するものではないが、この男性と接触したことで私たちが誰かの足を引っ張ったこと、そしてその報告が情報機関を通じて波及し、最終的に * に届いたことは、かなり決定的に示している。

つまり、この話に敏感に関係する「老人」は間違いなく存在し、しっかりと保護されている。


もう一つの同時発生では、ショーナ・コノリーが、リアリティ・アンカバード・フォーラムで共謀者であり暴露者でもあるライアン・デュベとスティーブ・ブロードベントと(彼らの非倫理的な活動に抗議して)殴り合いになり、リアリティ・アンカバードの進行中の中傷キャンペーンを www.serpo.info で大規模かつ説得力のある詳細で「暴露」しました。彼女が列挙した汚い手口のリストで言及しなかった唯一のことは、彼らが昨年 11 月と 12 月に私の個人メール アカウント(セルポ のメールだけではありません)に不正アクセスしたことで、私はその行為が犯罪行為であると法的助言を得ました。この詳細を除けば、中傷キャンペーンの全容は www.serpo.info で十分に語られており、このページで繰り返す必要はありません。

これらすべてと、ケリー・キャシディと私が最初の出会い(ケリーが私にインタビューしたとき – こちらをクリック)から 1 年を記念して、もう 1 回のインタビューを行ったこと、そしてその 12 か月後に、私は今が長い間多くの人々の興味をそそり、関心を引いてきたこのサイトのウェブマスターを退く最適な時期だと気づきました。前述のように、私は 2006 年 12 月からこのことを検討していました。今回の最終決定の最大のきっかけは、ラフリンの「記念日」と、その後 6 か月間更新がまったくなかったことです。

これからは、懐かしさと安堵の入り混じった気持ちで セルポ を振り返ることになります。そして、内部関係者やその他の重要な開示の証人との包括的なビデオ インタビューの Web サイトである Project Camelot にフルタイムで集中します。

結論は、どんな結論に至ってもおかしくないものです。

7 月 26 日の American Antigravity のインタビューで述べたように、セルポ の話は偽情報 (つまり、真実にフィクションの要素が加わったもの) と自然に発生した複合エラー (チーム指揮官のログの未修正の音声テープの書き起こしなど) の混合物であり、驚くべき真実の核を囲んでいると私は考えています。

前述のように、この話に敏感に関係する「老人」は確かに存在し、十分に保護されています。

この話を一般大衆に公開する必要があるという私の直感は、十分に正当化されていることが判明しました。

この話の信用を失墜させることを特に意図した、非常に多くの汚いトリックや中傷がありましたが、それは比較的少数の人々から発せられました。

「交換プログラム」というフレーズは、UFO コミュニティの語彙に永久に導入されました…そして、何らかの交換プログラムが確実に発生しました (リリース 21 を参照)。
セルポの記述は限りなく興味深く、議論の的となることは間違いありません。しかし、それはほぼ 50 年前に起こった出来事に関するもので、主に歴史的なものです。歴史や歴史的出来事の研究から学ぶことは常にできますが、私の関心は今、私たち全員の将来に待ち受けているかもしれないことに関する情報と研究に集中しています。
進行中の議論や討論に参加したい読者は、Open Minds フォーラムで親しみと礼儀をもって対応してもらえるでしょう。このサイトの連絡フォームは無効になりますが、進行中の討論、意見、コメント、質問はすべてここに投稿できます。
前述のように、私自身は今後 100% プロジェクト キャメロットに集中します。

この興味深い物語に興味を示してくれた方々に、心からの祝福を。

ビル ライアン
2007 年 3 月 5 日

重要なお知らせ   「ゲート 3」事件

重要なお知らせ:2006年7月7日

ここ数週間、世界各地からの訪問者から、セルポ・サイトのアップデートを求める多くのメッセージを受け取っています。
まず、5月のフォーティーン・タイムズに掲載された、マーク・ピルキントンによるセルポに関する素晴らしい記事をご覧ください。
抜け目がなく、明晰で、よくまとめられた記事です。お楽しみください。
第二に:12月2日にペンタゴンに配属されている空軍中佐から受け取ったメッセージを再掲します。
その下に、同じ情報源からの2つ目のメッセージを掲載する。興味深い新情報が含まれています。
ビクター・マルティネスの 「アノニマス 」はすぐに、私の情報源が訪問した退役空軍大佐の名前を伝え、それを私に伝えた。私はこの名前も明かしていません。
これらのメッセージを受け取って以来、私の中佐の情報源は、何度も連絡を再取ろうと試みたにもかかわらず、「音信不通」になっています。
12月2日のメッセージの前には、彼はセルポの話に関連した些細なことで5回私と文通していました。彼は軍事科学者であり、リリースの天体物理学に興味を持っていました。
彼はケプラーの法則に関する長い談話を送ってきたが、その中でケプラーの法則が二重星環境では適用されないことを説明し、「DIM」が何であるかに興味を持っていました(ポール・マクガバンによってそれが明らかにされるまで)。
私は、彼がセルポの話について驚くべきことを確認した後、彼は私との連絡を絶つよう「圧力を掛けられた」されたと推測しています。
12月2日か3日以前は、彼はいかなる規則にも違反していませんでした。
しかし、この件についてこれ以上連絡しないように言われた後、彼は命令に違反することで軍のキャリアを危険にさらしていたでしょう。

2005 年 12 月 2 日金曜日

ビル、

私は、ただこれを伝えたいだけです。

昨日、私は退役した米空軍大佐を訪ねました。この大佐は米空軍諜報部に30年間勤務していました。正確な勤務期間はわかりませんが、1955年から1985年頃でした。私はこの大佐と5年ほど友人です。彼の息子も私の友人で、私の部隊に勤務しています。彼は諜報部に長く勤務していたので、ビクターが公開している情報について何か知っているかどうか、このすべてを彼に伝えたいと思いました。
大佐は電子メールを持っていないので、私はアノニマスからのすべての情報を印刷してコピーを渡しました。私は彼が最新の電子メール、すべての投稿を含むものを読むのを見ました。彼の目と表情を見ました。読み終えた後、彼は「なんてことだ、この地球上で誰がこのような機密資料を公開するんだ?」と言いました。そこで私は、この情報はすべて本物かと尋ねました。彼の答えは「はい、すべて本物です」というシンプルなものでした。次に私は大佐に、彼がこのプロジェクトに関わっていたかどうか尋ねました。彼は、1961 年頃から 1965 年までこの作戦の通信面に関わっていた、と答えました。彼は報告チームにも所属していました。彼は、すべての情報が機密解除されたことを確認しない限り、詳細についてコメントすることはできないと言って、あまり多くの情報を提供しませんでした。私は彼に感謝し、その場を去りました。
控えめに言っても、私は驚きました。わぉ!これは本当に本当です。私はずっと、その一部は本当だと思っていましたが、公開された詳細については疑問を抱いていました。
私たちは、私たちの歴史の最も重要な部分に関する情報の大規模な公開の瀬戸際にいるのかもしれません。


2005 年 12 月 3 日土曜日

ビル、

この投稿をサイトのコメント欄に投稿したいです (匿名で投稿してください。名前を明かしても構いません)。
問題ないと思いますが、問題がある場合はお知らせください。

これを自分のサイトに投稿することはできますが、ペンタゴンに配属された現役空軍中佐から得た情報とだけ書いてください。元の情報は、空軍情報部で 33 年間勤務した退役空軍大佐から得たものです。
私はいろいろと調べて、1965 年 7 月に始まり 1978 年 8 月に終了した機密プロジェクトに関する歴史的な言及をひとつ見つけました。機密作戦の歴史的日誌に記されたものです。番号は持っていて、追跡しようとしています。退役大佐の友人がこの日誌を教えてくれました。彼によると、空軍は情報をフォート ベルボア (旧 7113 特別活動グループ) の特定の場所に保管していたそうです。
私はあなたの Web サイトを本当に尊敬しています。A 氏が引き続き情報を提供してくれることを願っています。私の上司である1つ星将軍は、毎日あなたの Web サイトを読んでいます!
3つ目: 最近のストーリーの紆余曲折を知らない訪問者のために、重要な事実をいくつか報告します。これから述べることは、「インサイダー」コミュニティの舞台裏で起こった、目にも触れることも語られることもない出来事、事件、戦いに比べれば取るに足らないものかもしれないが、それでも、読者の中にはすでに知っている人もいるかもしれない、かなりのドラマと興味が含まれている。また、新しい情報も含まれている。それでは、始めましょう。

1) 今年 2 月 16 日から 3 月 10 日の間に、2005 年 11 月 1 日から 12 月 21 日まで Anonymous からメッセージを受け取っていた ヴィクター・マルティネスは、元の情報源を名乗る人物から再び連絡を受けました。
このサイトでは言及されていませんが、元の情報源は「シルベスター・マッコグリン」と名乗り、電子メール アドレスは thewizardofzin@lycos.com でした。名前自体は別名でしたが、Victor はこれを今では有名な「リクエスト・アノニマス」というあだ名に置き換えました。
「シルベスター」と「マッコグリン」という名前は、名前を明かさないある人物の 2 人の先祖から借りたようです。「The Wizard」は、セルポを訪れた 12 人の宇宙飛行士のグループのパイロットの 1 人のニックネームでした。
2 月 16 日、ビクターは再びシルベスター・マッコグリンを名乗る人物から連絡を受けました。今回は thewizardofzin@yahoo.com から連絡がありました。彼は元の電子メール アドレスが侵害されたと説明し、ビクターに保管していた元の通信を転送するよう依頼しました。ビクターは依頼に従い、2 人は長い電子メールのやり取りをしました。「シルベスター」は投稿すべき新しい情報を明かしませんでしたが、新年以降に私が受け取った投稿の信憑性を疑問視し、最終的にはビクターを説得して私とリック・ドティ (私が受け取った情報の一部の通信経路の一部であった) の信用を失墜させるため、公に思い切った行動を取るように仕向けました。ビクターの名誉のために言っておきますが、彼はこれを拒否しました。
3 月 10 日、スティーブ ブロードベントとライアン デュベから連絡がありました。彼らは、ユーザー名 Zep Tepi と rdube02 または ryguy で Above Top Secret (ATS) フォーラムのアクティブ メンバーを務めており、ビクターの「匿名の返信」は、ATS の弁護士であり、国際法律事務所 Morrison and Foerster のアソシエイトであり、ユーザー名 Centrist で ATS やその他のフォーラムに頻繁に投稿しているウェイン ジェシュケに他ならないと説明されました。ジェシュケは、ブロードベント、デュベ、および 4 人目の ATS メンバーであるショーナ コノリーの助けを借りて、まず秘密裏に「シルベスター マコグリン」という名前と電子メール アドレス thewizardofzin@lycos.com を発見し、それを利用してヴィクター・マルティネスを騙すことに成功しました。
名誉のために言っておくと、ブロードベントとデュベは、イェシュケの意図が当初提示したような、つまりセルポの発表を正直に調査するというものではないことに気付き、私に連絡を取った。その代わりに、彼はあらゆる手段を使って記事と私の信用を失墜させようとしていることが彼らには明らかになった。これはブロードベントとデュベの誠実さを侵害するもので、彼らはその後私に連絡を取り、謝罪し、何が起こったのかを正確に説明した。イェシュケの意図を示す、すでに広くリークされている3人の同僚へのイェシュケの電子メールについては、ここをクリックしてください。(この電子メールで言及されている「ブラックフライデー」メッセージは、私とリック・ドティのキャリアを台無しにすることを意図してイェシュケがビクターに送った発表です。ビクターはそれを投稿しませんでした。)
ショーナ・コノリーからこの件について連絡を受けたことはありません。私の知る限り、彼女はこの欺瞞行為への共謀について謝罪も責任の認識もしていません。
ウェイン・イェシュケはその後、フォーラムでの積極的な役割から退き、ビクターが2月と3月に受け取った匿名のメッセージは直ちに止まりました。このサイトに投稿されたリリースはどれもイェシュケや彼の同僚からのものではないことを明記しておくことが重要です。
スティーブ・ブロードベント、ライアン・デュベ、ショーナ・コノリーは現在、最近立ち上げられたリアリティ・アンカバード・フォーラムのモデレーターであり、そこで彼らはセルポの物語を批判的に信用できないとする分析的な立場を維持しています。ウェイン・イェシュケは、詐欺師「匿名」としての彼とビクターの間の電子メールのやり取りへのアクセスを彼らに許可しており、その一部は彼らのサイトに投稿されています。イェシュケがスティーブ・ブロードベントとライアン・デュベにすべてのメールを公開するようかなりの圧力をかけていることは興味深く、重要です。読者は、これが彼にとってなぜそれほど重要なのか自問するかもしれません(以下を参照)。
最近の出来事に関する別の視点は、Open Mindsフォーラムで見つけることができます。
私がこの一連の出来事を明らかにしているのは、上記のことがまだ公の場で明確かつ詳細に語られていないからです。しかし、セルポのリリースを理解する上で、これは重要ではありません… ただし、1 つの点が異なります。

2) 読者は、ウェイン・イェシュケが、国際企業で働く弁護士としての自身の信用を危険にさらすために時間と労力を費やし、ビクター・マルティネスを辱め、セルポの発表を空想の産物として提示し、リック・ドティと私の信用を失墜させるために、異なる経歴を持つ3人の同僚(全員ATSフォーラム出身)を雇用する動機となった理由について考えるよう勧められる。
次のような疑問が湧いてくる。

  • セルポとドティを標的とし、公の場で彼らの信用を失墜させるために多大な労力を費やしている機関、または「インサイダー」派閥が存在するのか?もしそうなら、その理由は?
  • ウェイン・イェシュケは本当に「一匹狼」だったのか、それとも誰かのために働いていたのか?
  • セルポはなぜこれほど論争の的になっているのか?争われている本当の戦利品は何なのか?
  • セルポにかなりの真実が含まれている場合、誰が得をして、誰が損をするのか、そしてその理由は?
  • セルポ が主に偽情報である場合、誰が得をして、誰が損をし、その理由は?
  • Jaeschke、Broadbent、Dube、Connolly はなぜこの話の信用を失墜させる必要があると強く感じたのか? 偽物の「匿名」を作成することで彼らは何を得るのか?

ひとつ明らかなことは、Broadbent、Dube、Connolly は セルポ がでっちあげであり、彼らの意見では (彼らは他の人にそれを信じさせようと熱心に説得している)、完全に ドティー によって実行されたと考えているようだ。Reality Uncovered の議題は、このケースを論じることである。
ただし、これは推測であり、関係者の信念体系に大きく関係しており、彼らがアクセスできる非常に限られた量の証拠の解釈によって裏付けられています。4 人のうち誰も「インサイダー」コミュニティから出てくる重要な情報に関与していないことを説明する必要があります。
上記の重要な質問が未回答のままであることは読者も理解しているでしょうし、舞台裏で何が起こっているのか自分で推測しても構いません。ここでは性格よりも動機の方が重要です。

3) 「タキトゥス・モンロー」と名乗る正体不明の人物が、セルポに関する「真実」を暴露させるため、一種の脅迫を目的とした新しいサイトを立ち上げた。名前の意味は「もう沈黙しない」。タキトゥスはラテン語で沈黙を意味し、「もう沈黙しない」はモンローのアナグラムである。タキトゥスは、妥当なラテン語でワンライナーを書くのが得意だった。スティーブ・ブロードベントはタキトゥスではないかと非難されたが(タキトゥスの更新はリアリティ・アンカバードの立ち上げとともに止まったようだ)、彼はそれを否定しており、この同期は偶然かもしれない。一方、タキトゥスは、これまで(特定の情報に直接アクセスできる者以外では)「偽者匿名」とその同僚、つまりウェイン・イェシュケ、ブロードベント、デュベ、コノリーだけが知っていた、相当な量の内部情報にアクセスできる。ケリー・キャシディは、タキトゥスが提示した解釈について私と録音したディスカッションでインタビューすることを申し出たが、メールは返ってこなかった。

4) 4月3日以降、さらなる情報公開はありません。リック・ドティは、私が受け取った情報の一部についてアノニマスの仲介者でした。また、3月初旬にネバダ州ラフリンで開催されたUFOカンファレンスで、私が彼と4日間にわたって(初めて)会ったことは、多くの人が知っています。
私のパートナーであるケリー・キャシディと私は、5月にロサンゼルスで彼と再び長時間会いました。そのとき、私たちは彼が信頼でき、説得力があり、人間的で、苛立っていることを知りました。私たちは、一部の人が主張しているように、彼が以前のSerpo資料のどれかの情報源であったかどうか、彼に問いただしました。
「いいえ」と彼は断固とした返事をしました。「大混乱でした。私がこの情報開示を担当していたら、それは一流の行為だったでしょう。私は勧告しましたが、それは聞き入れられませんでした。私にできることは何もありません。」
リック・ドティは、1月初旬に、元の「シルベスター・マッコグリン」から連絡を受け、彼と彼のグループはビクターの編集スタイルに不満があり、代わりに彼を通じて私に直接リリースを届けてほしいと伝えていました。リックはこれに落胆しました。彼は1月6日に私に電話し、偽情報の発信源としての評判と経歴のため、私が情報を直接受け取る意思があるかどうか尋ねたいと言いました。そうすれば、彼はループから外されるからです。
私たちは2人でその問題について考えました。リックは本当にそれをやりたくなかったし、彼の関与が知られた場合の影響を心配していました。
これは人々が理解することが重要です。リックはその仕事をやりたくなかったのです。その電話での会話で、リックが演技をしていたとしたら、彼はオスカーに値します。彼の個人的なジレンマは本物だったと私は確信しています。

4) その間、私は伝説的で約束されていたセルポの写真を 5 枚見せられました。第三者がホテルの部屋で私と会うことを希望し、それは約 1 時間続きました。その間、私は封筒を渡され、それを開けて中身を見るように言われました。私はコピーを取ったり、中身を保管したり、この遭遇や私が見たものを他の人に報告したりすることは許されませんでした。私は今、完全に自分の責任で、目撃したものを公表するという一方的な措置を講じました。
写真は 5 枚あり、そのうち 3 枚はフルカラーでした。1 枚は白黒で、かなり不明瞭で暗い長方形のオベリスクのような物体が写っていました。後で聞いたところ、それはセルポのよく知られた「塔」でした。もう 1 枚も白黒で、イーブ人のエネルギー装置の X 線画像だと聞きました。確かに小さな物体の X 線画像のように見えましたが、それが実際に何であるかはわかりませんでした。 3 枚目はイーブ人の肖像画でしたが、モデルかどうかは分かりませんでした。4 枚目は砂漠の風景で、奇妙に侵食された岩がいくつかありましたが、地球上のどこかで撮影されたのかもしれません。
息を呑むほど美しい写真だったのは 5 枚目の写真でした。空には暗い嵐の雲が漂う砂漠の風景で、小さな丘や高い砂丘のような少し高い位置から撮影されました。そして地平線には沈む太陽が 2 つありました。
私はその写真を長い間見つめていましたが、細部まですべて覚えています。フォトショップで作成したもののようには見えませんでした。私は非常に注意深く調べました。感情的な衝撃は大きく、驚くほど感動しました。そして、その出来事を思い出すたびに、今でもその感動が残っています。
私は、その写真を見たことを誰にも言わないように、そして「近い将来」にこの Web サイトで公開する許可が下りるだろうと指示されました。その許可は得られず、私はその写真を二度と見ることはありませんでした。
天体物理学的注記: 現在の天体物理学的観測では、2 つの太陽ゼータ 1 と 2 が 10 分の 1 光年離れていることはよくわかっています。(a) これらの観測が間違っているか、(b) ここで話題にしている恒星系がゼータ レトゥクル座ではなく、たとえばアルファ ケンタウリ座である可能性があります。

5) その間、リック・ドティはますます苛立ちを募らせていた。ある時、彼は窓の外を見つめながら、私の目の前でこう言った。「ゲームは続く…ルールなしで。」彼の声には苛立ちがはっきりと表れていた。彼はケリー・キャシディと私に、リリースを画策していた舞台裏のグループについて詳細に語った。その話には驚くべき情報が含まれているが、ケリーと私は関係者を守るためにそれを明かさないと個人的に約束した。これにはちゃんとした理由があり、詳細には触れない。ただし、この一部は、ジェリー・ピピンの Serpo ページで語られています:
「プロジェクト・セルポ」更新: 2006 年 3 月 17 日東部時間深夜 – 信頼できる情報源から、元の匿名の人物が 2005 年 12 月 21 日に「プロジェクト・セルポ」への投稿を停止したことを確認しました。
これらのレポートは、私たちの情報源によって特定された高位の情報源から発信されたものですが、公開のために名前は明かされていません。この情報源は、秘密の政府作戦で高位の地位にあり、音声と書面の両方で報告を受けた「プロジェクト・セルポ」交換クルーが戻ってきた際の元の話の音声テープにアクセスできました。書面は、3,000 ページに及ぶ「プロジェクト・セルポ」レポートを構成しています。
理由は不明ですが、この情報源はビクター・マルティネスの情報提供を停止しました。
その後、ビル・ライアンは、元の情報源とは何の関係もない他の匿名の情報源から連絡を受けました。信頼できるが身元不明の情報源からの情報に基づき、この匿名の人物は実際には 3 人の人物の集合体であると考えています。
これらの人々は、1965 年の「プロジェクト・セルポ」ミッションの最終選考 16 人の一部として訓練を受けたが、最終選考 12 人の交代要員であったため参加せず、ライアンに伝えられた情報は、1978 年に地球に帰還した他の乗組員との会話に基づいている。
帰還したチーム メンバーはその後、セルポが 4 番目の惑星であったゼータ レチクル星系の二重太陽からの過剰な放射線が原因と考えられる病気で死亡した。セルポのストーリーの一部は、公務上の機密を保護する任務を負っている政府部門のトップ管理者から確認されたという情報が得られている。この名前は誰もが知っているが、情報源との約束のため明かすことはできない。他の 12 人とともに訓練を受けたこの 3 人の生き証人が、ライアンと彼の Web サイト www.serpo.org にさらなる情報を提供すると予想される。
ジェリー・ピピン番組のプロデューサーは現在、第三者と協議中で、ミッションのために同じ厳しい訓練を受けたものの、12人の人間とETの交換プログラムのチームメンバーの1人に選ばれなかった3人の証人のうちの1人とのインタビューの可能性を検討しています。
上記の情報は正確であると私は理解しています。

6) 本稿執筆時点(7 月 7 日)で、リック・ドティは私の知る誰からもこの 1 か月間連絡が取れなくなっています。これは直接の指示があった場合にのみ起こったことだと思います。上で詳述したように、他の調査員の中には、リックが詐欺師であることを証明しようとして事態を悪化させている人もいます。私は個人的に、彼は詐欺師ではないと確信しています。
このすべてについて私の直感と個人的な調査により、これは主に舞台裏で行われているゲームであると理解するに至りました。リックが AFOSI で働いていたときに指示を受けて大規模な偽情報キャンペーンに参加したことが証明された唯一の時期は、1980 年代初頭のポール・ベネウィッツ事件のときです。 (この件に関するグレッグ・ビショップの著書『Project Beta』を参照。この本では、ドティが真実の物語を全面的に語ることを支持している。今年 3 月、ラフリンで私はビショップとドティと一緒に時間を過ごし、彼らの友好的な関係を目の当たりにした。)
要約すると、リック・ドティとのやり取りの中で、私は彼がエイリアンの訪問について明らかにしたいという願望と、この問題について彼自身の信念を持っているという事実に衝撃を受けた。彼は時々、他の誰よりもゲームをコントロールできないことに対する、私が非常に正直なフラストレーションと呼べるものを見せた。ドティの過去の行動はここでは関係ないかもしれないし、舞台裏の物語への彼の関与は、事前に仕掛けられた「回路のヒューズ」、つまりもっともらしい否認である可能性が高い。セルポの物語は、彼が述べたように、実際の出来事から取られたものだと私は信じている。ジェリー・ピピンの「Aviary」ページにアクセスして、リック・ドティとの興味深い音声インタビューをダウンロードしてください。その中で彼はセルポについて多くを語っています。
ロバート・コリンズの言葉もここで価値があるかもしれない。6 月 25 日にビクターのリストのメンバーに配信された電子メールで、彼は次のように書いている。
私は過去にリック・ドティと セルポの情報について議論を交わしたことがあるが、その情報は科学的観点からは合格点には達しなかった。特にゼータ 1 と 2 の天体物理学に関しては。リックは私に激怒し、私をメーリング リストから外すと脅した。しかし、私と私が確認した UFO に関連する他の多くの事柄についてはリックが正しかった。情報源のほとんどは科学的背景のない諜報員タイプだ。アーニー・ケラーストラスは例外の 1 人だ。彼は機械工学のバックグラウンドを持ち、退職後はデイトン大学で教鞭をとっていた。その後は SRL、現在は WP の GE だ。アーニーは、リックが特定の CIA Mj12-EBE-2 メモについて述べた多くの事柄も確認した。キット・グリーンは、メモのフォーマットレイアウトが CIA で見たタイプであることを確認しました。さらに例を挙げると、トム・マックとダレン・エドモンソンは科学的なバックグラウンドを持っていましたが、ジーン・レイクスとポール・マクガバンは持っていません。ジェリー・ミラーは科学的なバックグラウンドを持っていません。いくらでも話せますが、ここで止めておきます。これは氷山の一角で、残りは本に書かれています。情報源 (つまりリック・ドティ) や人物に関しては、私はどちらの側にも立ちません。決定は最良の証拠に基づいて行われます……

敬具

ロバート C

7) 上記の情報が、ちょっとした質問や議論の嵐を引き起こす可能性があることは十分承知しています。皆様に敬意を表して、私はいかなる質問にもお答えせず、いかなる議論にも加わりません。ケリー・キャシディと私は、今年後半に「特定の問題が解決したら」さらに情報が公開される予定だと聞いています。私はこれらの取り組みの進捗状況や、言及されている問題が解決されたかどうかについて何も知りません。かなり長い間、何も聞いていません。すべての観察者と同様に、私は待っています。そして、すべての観察者と同様に、私はそれらの写真をもう一度見たいと思っています。

ビル・ライアン
2006 年 7 月 7 日

Eメール#21へ    セルポは死んだ

アノニマス氏からのEメール#21

セルポに関する討論を行う為に、専用のインターネットフォーラムがあります。ここをクリックするとジャンプします。
ただし、このフォーラムは元サイト及び当サイトとは無関係です。その為、元サイト及び当サイトのウェブマスター(ビル・ライアン氏 及び 訳者)はその内容に対して一切関知しません。
しかし、ビル・ライアン氏はそのフォーラムに賛同し、セルポに関する質疑が賢明に、そして友好的に行える場所としてそれを提供します。
[ビル・ライアン:以下の内容は、このサイトでの公開情報を正当化するのに非常に重要な各種情報となります。]

リンダ・ハウ女史は、この交換留学プログラムについて語られている事を次の通り明確に伝えています。

“私は1964年4月25日にホロマン空軍基地を退職した人物から、私が働いていたホームボックスTVの特番「UFO : ETの真実」という番組の関係で、1983年~1984年にこの交換留学プログラム “ゼータ・レティキュライの宇宙人”について、三名の地球人男性(一人は宇宙人の惑星で死に、一人は発狂し(その後の消息は不明)、一人は地球帰還後に政府により孤島に隠れ家を与えられて死ぬまで過ごした)について学ぶ機会がありました。

更に彼女は彼女の情報源が誰であるかを明確に伝えています:

私の主な情報源は、1970年代後期に米国のテレビで放送された番組「UFO:過去 現在 そして未来」の作家でもあるロバート・エメンガーでした。

私は二週間程前ジョン・リア氏にあった際に、誰がケリー・キャシディーと私自身に正確に同じ情報(三人が行き、一人は死に、一人は発狂し、一人は無事帰還した)を話したのかを確認したところ、リア氏は次のように明言しました。

それは、リンダ女史もロバート氏も知らない完全に別の情報源からです。
彼はヒューストンに住んでいて、NASAに行き来したが、NASAに勤務していた訳ではありません。

それから私はこれを何人かの研究者に確認しました。そしてhttp://www.virtuallystrange.net/ufo/updates/1998/nov/m18-010.shtmlを見つけました。

From: UFO アップデートの管理人、 エルロ・ブルース=ノップ,(カナダ トロント)
Date: Wed, 18 Nov 1998

[抜粋]
彼ら談話から - ホロマンは、この週末、私の人生に再びやって来ました。
この11月14日土曜日に、ジェームズM. マッキャンベル氏 (「UFO学(ユーフォロジー):科学と常識からの新しい洞察」(1973年,カナダのベルモントにあるJaymac社刊)の著者)との電話会談で、彼は新情報を教えてくれました。
ホロマン基地での”着陸”。 彼は、三人の”鳥になった”大佐達 –中略– “残された訪問者”について、軽く触れました。
彼らの復帰に関して、大佐の一人は発狂し、一人は亡くなり、残る一人については、マッキャンベル氏も知りませんでした。

この話は非常に重要です。もしも3人の人間だけが行ったというのならば、伝えられたセルポの話は正しいと言えるのでしょうか?
突如現れた2つ、いやそれ以上の異なる情報源が正確に同じ内容を、つまり「セルポ計画には12人ではなく3人だけが行った」と伝えているのは、少し困った事のようにも感じられます。
24時間前、私は全く別々に2つの情報源から何カ所かの重要な詳細が全く間違いであるというメッセージを受け取りましたが、それは私が幸運にも恐ろしいほど正確にこの出来事を推測してきたとも受け取れますが、巧妙にニセ情報をつかまされているのか、どちらかである事を示唆していました。
彼はそれ以上何も言わず、”私は厳重な監視を受けている”とだけ言っていました。この人はたまたまネット上でセルポの話を知っただけのようでもありました。
彼は、この”でっち上げ”とも思えるこの話が、彼の知っている事と比較してあまりに酷似していた事に驚きましたが、これは実に意味深い事です。

私は個人的なメーリングリストのメンバーにこれまでの情報を送り、彼らが欲しいと思う情報を自由に誰にでも伝えられるようにと願って彼らを誘い、何かが起こるのかを待ちました。
すると数時間後に、米情報部の匿名の情報源から、私はこの様なメッセージを受けました。

投稿されているクルーの記録のあらゆる些細な情報も、全くの真実です。
私は、記録が本物である事を公式録音テープからの写しであることで確認しました。
音声記録を含む5419本のカセットテープがあり、私はその中の1本を”安全な場所”で聞く機会があり、これらの記録が本物であると確信しました。
私はそれらを見る機会を与えられ、その中の1本(チームコマンダー自信によって作られたもの)を聞きました。
考えてみてください、5419本×90分にも及ぶ”ねつ造テープ”を誰かが作ったと思いますか? 単純計算でも338日もかかる作業ですよ。
しかも、その型の政府専用カセットテープは軍制作による物で、もはや販売されていません。(我々一般人がカセットテープを使うようになったのは1968年の事です)
クルー達は、90分テープが100本詰められた箱を60箱も持って行きました。全部で6000本ものテープです。

これらのテープは、地球を発ってからセルポ星での任務の数年間に渡って記録され続けました。
各クルーは、それぞれテープレコーダを持っており、彼らが行ったあらゆる観測を記録しました。
その後、彼らが地球へ帰還してから7年を費やしてテープは整理されたのです。

この素晴らしい実話を批判し続けている批評家達を見て下さい。
私がこれらの情報を管理する立場であるのならば、私はそれらをニュースメディア以外の手段で一般大衆にリリースする事はしないでしょう…
神がそうだと言わない限り、信じることがない人々がUFOコミュニティーの中にもいます。

試合の流れが、たった今変わったのかも知れません。
細かいことは忘れましょう、何人が行ったのか、いつだったのか、宇宙人の文化の事...
たったひとつの問題だけが最も重要なのです。「宇宙交換留学プログラム」は実在したのか?
私は、存在したという回答を推します。大量の状況証拠があります。
見えてきた細部の矛盾点を考慮していくと、2つの異なる交換留学計画があったのかもしれません。(それ以上かも…)
セルポの話は、ニセ情報かもしれません。でも、思い出して下さい、故意に流されたニセ情報の内、80%はウソでも20%は真実、また80%は真実で20%がウソだという事を。
これらは言いようのない重要な情報を巧妙に隠蔽しているのかも知れないという事を。


ビル・ライアン、2006年8月30日

Eメール#20へ   重要なお知らせへ

アノニマス氏からのEメール#20

以下の情報は英国情報部第6課(MI6)を代表すると主張している誰かからヴィクター・マルティネス氏まで送られて、2006年8月24日に彼によって発表されました。
これは、前のリリース#19と同じ情報源から来ませんでしたので、ヴィクター氏は元々のアノニマス氏(#1~#11,#19の提供者)に意見を聞くと、アノニマス氏は以下の短いメッセージを送ってきました。


これの何が新情報なのですか? 誰かが我々の書いた他の情報から抜き出してこれを創作したのでしょう。新しいことは何も述べられていません。
私は、これがMI6から来たというのを疑っています。誰かが捏造したのだと思います。


私は、セルポに関連した情報を監視して、私と私のグループに報告をしてくるメンバーをあなたのメーリングリストの中に潜り込ませている事を申し上げておきます。

ビクターマルティネス氏は、下記の情報が偽物である事が証明されたなら、このメッセージをこのサイトから削除するようにと要請してきました。


■ビクターマルティネス氏がMI6のアノニマスⅡと称する人物から受け取った情報

XXXXXX氏は、1958年夏に「プロジェクト・クリスタルナイト」に参加しました。
XXXXXX氏は、宇宙人との通信にプログラムに参加する為に、ホロマン空軍基地に配属されました。
XXXXXX氏は、1952年にロズウェル事件についての部分的な説明を受けていました。
XXXXXX氏は、イーブ1号とはいかなる接触も持ちませんでしたが、彼は写真やフィルムでそれを見たと言います。
このフィルムは、他の人達がこのプログラムでの説明のために見た物と同じです。
1958年の夏、XXXXXX氏は最高機密の会議のためにサンディア基地(コイトランド空軍基地)に呼ばれました。
そこには司令官らが出席していました。

[一般的情報] アメリカ空軍のチャールズ・キャベル将軍は、プロジェクト・クリスタルナイトを統括管理するグループを担当していました。

[サイト管理者による注釈:チャールズ・キャベル将軍はアール・キャベルの兄弟でした。そして、その人はJFK暗殺事件当時のダラスの市長でした。巻末のメモを参照して下さい。]

グループの他のメンバーは、以下の通りです。
 フィル・ハウエル
 ジョージ・シムラー
 マイル・ドイル
 ボブ・ホール
 カーティス・フリスビイ
 ハリー・ロブ
 アール・バッツ
 リチャード・ハマスキー
 ジャック・トーマス

以上の全員は、アメリカ空軍に所属しており、殆どは空軍のセキュリティーグループ(空軍情報部)に所属していました。
この会議では、他の惑星に住む知的生命体とのコンタクトに関する驚異的な計画が披露されました。
このプロジェクトは、何段階もの過程を必要としました。
最初に、世界各地にETからの通信をサンディア基地の中央司令センターに中継する施設の設置する事です。
サンディア基地(コイトランド空軍基地)1950年代後期に宇宙からの信号を集める事が出来る「スペース・ディッシュ(XXXXXX氏による造語)」を設置していました。
グループは、「高度な」通信システムがロズウェル事件で回収・修復された異星人の宇宙船から見つかった事を話しており、この通信システムで異星人と通信を行っているという事でした。
米空軍の第2044通信中隊は、ロスアラモス国立研究所からとアメリカ軍通信部隊から選ばれたメンバーで、通信システムをさえぎる役割を果たしていました。
ロズウェルで発見された生きている宇宙人は、通信システムを正しく動作させる為の技術情報を提供しました。
第2044通信中隊の3人のメンバーは、宇宙人の通信システムを動作させる為の訓練を受けました。
この通信システムは複雑で、墜落した宇宙船から見つかった宇宙人の特殊なエネルギーデバイス「クリスタル・レクタングル(PVEED-1)」が必要でした。
一旦、第2044部隊の技術員がシステムを習得すると通信機能を動作させられるようになりました。
しかし、最大の問題は異星人達の言葉が分からないことでした。
この通信システムは、異星人の言語に基づいて動作しており、それは異星人と作業をしていた1人か2人の米空軍の士官のみが分かっていました。
このように通信システムは異星人の言葉で書かれる事で動作する複雑な物でしたが、空軍の上層部はあまり詳しく理解していなかったようです。
1952年から1958年の間、アメリカ陸軍・空軍の両軍の言語学者たちは、宇宙人語の翻訳作業に取り組みました。
しかし、ある種の[言語学的な]基礎値情報なしでそれを行う事は大変な困難を伴いました。
生存している宇宙人は、彼らのアルファベットを教えてくれましたが、その宇宙人も彼らの言語から英語へ翻訳するという十な知識も情報も持っていませんでした。
彼は何とか、2つの言語間の簡単な比較程度はできたそうですが、十分に我々の言語を理解することはできなかったようです。
第2044通信部隊が通信システムで何らかの信号を受信していたので、通信システムが機能していることは明らかでした。
しかし、誰もその信号を翻訳することは出来ませんでした。
受信した信号は、小さなスクリーン(非常に小型のテレビのような物)に表示することに成功しましたが、それは宇宙人語で表示されていました。
我々が出来たことと言えば、宇宙人語のシンボルをコピーして、いつの日かそれが翻訳できる日が来ることを待ち望むことだけでした。
XXXXXX氏は、通信システムが機能したことを知っていたので、宇宙人が生きている間に通信システムで数種類のテストをしたのだろうと思いました。
彼らも宇宙人語の重要なシンボルについては大凡知っていました。
こうしてついに、数名の賢人達の努力により、我々は受信したメッセージのおよそ7割ほどを翻訳することが出来るようになりました。
それは宇宙人達から何を送ってきたのかを理解するには十分でした。
宇宙人達は、地球に再びやってきて、彼らの僚友(生きている者、死んでいる者)を迎えに行きたいということでした。
我々の任務は、このイベントを計画し、必要な物資輸送などをの全てを提供することでした。
大凡の準備が整った頃、空軍の通信スペシャリストの1人は、宇宙人に英語でメッセージを送ろうと考えました。
しかし、宇宙人の通信システムは英語の文字を取り扱えなかったので、困難なことでした。
しかし、空軍の発明の才は活動し始めました。
新しく作成された機密扱いの軍事通信システム(TAC-STAR)を利用して、我々はTAC-STARのキーボードをなんとか接続することができました。
これで、我々は宇宙人の通信システムに英語でメッセージをタイプする事ができるようになりました。
随分時間が掛かりましたが、どうにかこれは動作しました。
我々は、アルファベットと数字でメッセージを送りました。
我々は数字の概念は、宇宙人のそれと似ていていましたが、混乱するので数字の代わりに線を使って表現することにしました。
いくつかのメッセージを交換した後、我々が彼らの言語を理解する前に、彼らは我々の言語を理解したようでした。
我々は、常に進化した文明と遭遇していたことは明らかでした。
1960年頃から、我々は彼らから英語でメッセージを受信し始めました。
彼らの文章は完全なものではありませんでしたが、意味を理解するには十分でした。
その辺りから、我々は数字を除いて英語だけで情報の交換を行いました。
彼らが誤った場所に着陸しないようにする為、我々は彼らの数字の概念を使用することにしました。
こうして我々は彼らの着陸座標を示す緯度と経度を提供することが出来ました。
さらに、初期の空軍のパイロットが使用していた軍の座標系も提供しました。
1962年頃、我々はついに写真を送る方法がわかりました。
これについての詳細を私に聞かないでください。 XXXXXX氏は、その技術情報の詳細を知る立場にはありませんでした。
我々は、彼らに着陸地点を示す白黒の写真を送りました。
これは難問の一つでしたが、彼らを何処に着陸させるのかということで、我々はあまり知られていない場所にしなければなりませんでした。
何百もの候補地があげられました。
最初に選ばれたのは、殆どが離島でした。
しかし、それらの場所では実務上の問題が沢山ありました。
そこへ行くには船で行かねばなりませんが、公にバレてしまう可能性もありました。
そして、疑われない遠くにある場所を選び出しました。
選択チームは、ニューメキシコ州のアラモゴードの近くにあるホロマン空軍基地の西を選びました。
実は、彼らは、2つの場所を選んでいました。
ひとつはホロマンにある偽の場所でした、そして実際の着陸場所は、ホワイトサンズでした。
1962年の後半頃、我々全員がロスアラモスの地下にある機密区域で会合を開きました。
そこで我々はアメリカ軍の軍人と宇宙人を交換留学させるという驚くべき政府からのニュースを耳にしました。
XXXXXX氏が全ての事柄について詳細に覚えているというわけではありませんが、彼は会議に出席した上層部の人間の中には、それが間違った[悪い]アイデアであると思った人が居た事を記憶していました。
懐疑論者たちは、生き残った宇宙人(イーブ1号)が語った事以外、宇宙人の種族に関する何の情報も持っていなかった事を懸念していました。
どうやって、我々はチームメンバーを他の惑星に送る事を信頼させたのか。
我々は、その惑星が40光年(正確には38.42光年)離れた場所にあるという事は知っていました。
旅行期間はどれくらいなのか? それと、どうやってその旅行に備えればいいのだろうか?
これらはメンバー全員が尋ねたい疑問でした。
しかし、主導者(主にキャベル将軍)は、既に計画済みであると言いました。
どうやって? 恐らく、我々は宇宙人とのよりよい通信手段を確立したのでしょう。
大部分のメンバーがそれのすべてを知っていたのかは疑わしいです。
というのも、我々は細分化されて、全てを知る人は居ませんでしたから。
XXXXXX氏は、1964年頃に宇宙人との交換留学が実施されるだろうと推測しました。
しかし、彼にはこれについて公式に知る権限はありませんでした。
次の難問は、チームメンバーの選定でした。
宇宙飛行士訓練指揮官であるボブ・ホール氏がこれを担当していました。
他にも、新設間もないDIA(アメリカ国防情報局)とCIAから何人かが参加していました。
我々はどうやってそれを行うのかを決めるのに数ヶ月を要しました。
そうして、全チームメンバーの記録を抹消する計画がまとまりました。
出された広告は、宇宙開発計画に興味のある志願者を募集するものでした。
それは半機密扱いで、アメリカ空軍がスペシャルチームを月探査の為の人選を行っていると偽装されました。
そして、これらの人々は特別なトレーニングと特別な選択プロセスを経験しなければなりませんでした。
このチームの試験を受けている軍人の誰がも本当の任務を知りませんでした。
応募者は500人ほどでしたが、そこから160人ほどに絞り込みました。
しかし、問題がありました。
この任務で必要な一部の専門家が見つからないのです。
また、必要最低限の条件として子供がいない結婚経験のない独身者、できるなら孤児が望ましいという事でした。
アメリカ空軍は、2人の医者と数人の他の専門家を招き入れねばなりませんでした。
最後に、選択プロセスの数ヶ月後に、12人の候補者と4人の予備候補者からなる16人のチームメンバーが選定されました。
こうしてチームが編成されると、彼らは世界中のあらゆる場所で、非常に広範囲なトレーニングをおよそ6ヶ月間受ける事になりました。
彼らのID、納税者番号、社会保障番号、軍歴、出生記録など全ての記録が抹消されました。
こうして彼らは、「名も無き人々」となったのです。
彼らには、それぞれ3桁の数字が与えられました。
任務が完了するまでの約13年間、彼らはトレーニングの初日からこの数字で呼び合う事になりました。
各チームメンバーたちがしなければならなかったもう一つの非常に奇妙な事柄として、彼らの誰かがいかなる理由であっても途中で任務から抜けるのであれば全任務が完了するまで監禁されるという誓約書にサインをするということでした。
思い出してください、この時点で彼らはまだ任務が何であるか知らないのです。
これは予備候補者を含めて、任務期間中は監禁されるという事を意味していました。
この時点で、正確な任務の期間は知らされていなかったようです。
大部分のトレーニングは、ヴァージニア州のキャンプペリーで行われました。
トレーニングの最後の段階まで、チームの正確な任務は明らかにされませんでした。
選抜されたチームメンバーは、世界で最も難しくて大変なトレーニングを行いました。
その多くは、宇宙飛行士のトレーニングと似ていました。
多くの生理的ストレストレーニング、高地トレーニング、更にはパラシュートトレーニングがブラッグ陸軍駐屯地で行われました。
チームメンバーは、サバイバル術、危険回避と脱出トレーニングを行うことによって、武器と戦闘トレーニングを経験しました。
既に我々はロズウェルで回収した宇宙船を持っていたので、チームメンバーはそれがどの様な機能を持っているのか、非常事態にそれをどの様に飛行させられるのかを訓練しました。
[チームメンバーとパイロット#225は、惑星セルポからどのような脱出飛行でもできたでしょう。パイロット#308は肺塞栓症で死にました。]
彼らも、基本的な宇宙人の言語、アルファベットとフレーズを学びました。
宇宙人のしゃべり方は、基本的に高いピッチの歌うような声で話しをしたので、これを習得するのは困難な事でした。
殆どのチームメンバーは、この発声法の習得が最大の難関でしたが、2人の言語学者[#420と#475]は、他の者より早く習得できました。
訓練期間中、ある1人のメンバーが、こんな危険な任務には就けないと言い出しました。
しかし、任務から離脱すると、レブンウォース軍事刑務所に幽閉されることを知った為、彼は任務を継続する事を決めたといいます。
着陸日付は、1964年4月24日に設定されました。
関係するグループ全員は、極秘裏にホワイトサンズに集合しました。
我々は、ホロマン基地の検査員のフリをして検査を通り抜けました。
最初にやってきた宇宙船は、着陸位置を間違えていました。
それは明らかに着陸座標を間違っていたようで、ニューメキシコ州のソコロの近くに着陸しました。(ロニーサモラ事件です)
[訳注:これは1964年4月24日にニューメキシコ州ソコロにアルミニウムの様なUFOが着陸したと騒ぎになった事件です]
2機目の宇宙船は、正しい場所に着陸しました。
ジョンソン政府のメンバーが、このスペシャルグループに加えられていました。
宇宙人は、#19の投稿にあるようなプレゼントを贈りました。そして、我々は宇宙人から渡された翻訳装置を使って彼らと情報交換ができました。
ここでの会議は、約4時間ほどでした。
その結果、実際の交換留学計画の実施は、来年以降にすることが決められました。
我々のチームは既に出発の準備が整っていたのですが、宇宙人達は翌年まで待つように要請しました。
その時期は、1965年7月に設定されました。
XXXXXX氏は、この会合に裏方として立ち会っていました。
この会議での様子は、全て、録音テープとフィルムに記録されました。
この計画の遅れは、我々のチームメンバーに問題を引き起こしました。
我々は、実施までの15ヶ月間、彼らをどうしたらよいかのでしょうか。
結局、チームメンバーは、およそ12ヶ月間のトレーニングに戻りました。
最後の数ヶ月間は、チームメンバー達は、レブンウォース軍事刑務所に収監されました。
我々は、交換留学のために、もうひとつ場所を決めなければなりませんでした。
1964年4月の会議では、着陸地点を決められませんでした。
我々は、宇宙人訪問者達に、着陸地点を決めてから通信システムにて連絡するという事を知らせました。
次の着陸地点は、ネバダテストサイト[NTS]に決められました。
既に我々は既に数百人もそこで雇っていたので、何をするにしても怪しまれることなく実行することが出来ました。
我々には、NTSの着陸地をごまかすもっともらしい話しをでっち上げる為に良い対諜報戦略がありました。
この地域でおこりうるであろう目撃事件をごまかすために、我々はU2とSR-71偵察機の発着数を増やしました。
また、低レベルの飛行をも増やしました。そしてこの近隣に住む少数の人々が宇宙船の着陸に気付かないようにしました。
1965年7月16日に、宇宙人は、NTSの正確な場所に着陸しました。
この時は、簡単な会合となりました。
ジョンソン政府のほんの少しのメンバーだけが立ち会っていました。
我々のグループは出席しましたし、問題なく交換留学計画は実施されました。
我々のチームは、およそ40トン[90,500ポンド]の資材を持って行きました。
着陸した2機の宇宙船は、特に問題なくこれらの荷物を運んでいきました。
着陸した2機の宇宙船は、シャトル機であったと後で知らされました。
より大きな宇宙船は、我々の月と火星の間のどこかで待機していました。
我々のチームは、1978年の報告で「宇宙人の巨大宇宙船」として述べられています。
宇宙旅行をしている約10ヶ月の期間中、我々は宇宙人の通信システムを使ってチームメンバーとの連絡を取ってきました。
セルポに到着後も連絡は取りましたが、それは不定期なものでした。
チームメンバー達は、1978年8月に地球に帰還しました。
8人のメンバーだけが帰還しました。
2人は、惑星セルポで亡くなりました。彼らの遺体は返されました。
2人のメンバーは、惑星セルポに残留することを決めました。
帰還した8人は、ロスアラモス研究所の特殊な施設で、1年間完全に隔絶されて生活しました。
隔離と報告が終わった1年後、彼らは兵役に戻るか引退する為に、新しい身分が与えられ、また特別ボーナスも支給されました。
6人は退役することに決めましたが、2人は現役のままでした。
現在、この8人は全員が死亡しています。
XXXXXX氏は、アノニマス氏によって提供された全ての情報を信じている訳ではありません。
アノニマス氏の報告には、チームのトレーニング、選択プロセス、コミュニケーションシーケンスと女性におけるいくつかの矛盾点があります。
XXXXXX氏は、女性が任務に参加していた記憶はないと言っています。
アノニマス氏の情報の大半は事実ですが、全メンバーが訓練の開始と共に与えらた3桁の数字については若干の相違があります。
XXXXXX氏は、この問題に対するいかなる特別な注意も望みません。
彼は民間人で、UFOまはアメリカ政府のUFO関係の調査に関してどのような情報でもこれまで公開しませんでした。

アノニマスⅡ/MI6所属


チャールズ・キャベル将軍に関する補足説明チャールズ・キャベル将軍は、ビッグス湾侵攻失敗の責任を取ってCIA長官アレン・ダレスとリチャード・ビッセルと共にケネディー大統領から解任されました。
ビッセル氏はCIAのビッグス湾での秘密作戦の総指揮を執っていて、キャベル将軍の弟のアール・キャベル氏は、JFK暗殺事件当時のダラスの市長でした。
ダレス氏とビッセル氏が1961年5月に解任されると噂されていた頃に、CIAの副長官だったキャベル将軍は1962年1月31日にケネディー大統領によって解任されました。
ケネディー大統領は、キャベル将軍が機密情報をマスコミに漏らしたのではないかとの疑念の元に、キャベル将軍を解雇しました。


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アノニマス氏からのEメール#19

ペンタゴン、クリスタル・レクタングル、ネバダテストサイトに関する国家安全保障に関わる機密文書

伝説:

CR:クリスタル・レクタングル(Crystal Rectangle)の略で、イーブ人のエネルギー発生装置

NTS:米軍のネバダテストサイト]


1.アメリカ政府が秘密裏に製造した”Pentagon“(Hydrogen-5[水素5])について トリチウムは、ヘリウムガス気中で中性子を捕獲することによって作られます。
中性子を供給するために、陽子は線形加速器で加速されて、タングステンでできているターゲットとなる重金属に衝突させ、その崩壊プロセスの中で中性子を発生させます。 結果として生じる中性子は、鉛と水への衝突によって減速されます。そして、捕獲効率を高めるためにターゲットの周りにヘリウムガスを流してトリチウムを生産します。 そうする事で、トリチウムはガスの中から連続的に抽出され、貯蔵設備へと運ばれます。

.トリチウムを生産している時、アメリカの研究者達はもう一つの同位元素がそのプロセスに於いて素早く消滅している事を発見しました。
実際、タングステン金属からはね返ったいくつかの同位元素が発見されました。 アメリカの研究者達は、これらの捉えどころのない同位元素を捕獲するプログラムを開始しました。
この秘密研究施設は、「ランス」と呼ばれネバダテストサイトに設置されました。 この施設は表向きには、実験的な化学生産促進剤の開発行うということでした。 トリチウム生産設備は、注入器、加速器、トリチウム製品、トリチウム分離施設などから成りました。 「ランス」は、注入器、加速器、収納用ビル、収集装置、貯蔵タンクなどから成りました。

Pentagon “Hydrogen-5(水素5)”の製造方法。詳細は超機密扱いであるが、概要は以下の通りである。

1)注入器:製造プロセスは注入器から始められます。
陽子線を作るために高エネルギービームは水素原子に直接照射されそれらを加速させます。
この光線は、トリチウムを生産する低エネルギービームのものとは異なり、ケミカルレーザーブースターによって増幅された強力なエネルギービームです。

2)加速器:陽子は、炭素原子と窒素13同位元素の混合物により加速されます。
これは、2つの炭素原子、陽電子ニュートリノを生成します。B13同位元素は、高エネルギーブースターからのガンマ線により溶解します。

3)収納用ビル:この建物は、注入器と加速器を収納するために建設されました。
この建物は実際に加速器からこの建物まで通じる地下トンネルを含みます。
核融合と加速プロセスで生じる放射線の為に、両者は1キロ以上離れて建てられました。この正確な理由は分かりません。
加速ビームは、加速器施設から収納用ビルまでトンネルで直接引き込まれます。

4)収集装置:この施設は化学製品とその他のアイテムからなる複雑な一連のフィルタを含みます。
それはトリチウム破壊プロセスに似ていると思われますが、いくつかの異なるステップがあります。
注入ポートは、リークバルブを持っていて、このポートから漏れ出る “Pentagon” の流量計を含みます。
漏れ出た “Pentagon” は回収されます。
ポロニウムがこの過程で使用されますが、正確な方法は判りません。
アルゴンガスがフィルターシステムのひとつで使われていました。
フィルターのひとつは、電子チャージされた亜鉛管を含んでいました。

5)貯蔵庫:この貯蔵庫は、最終的に “Pentagon” が収集され保管される場所となります。
タンク内部は、ベリリウム合金で覆われています。
タンクは、”Pentagon“の最終製造過程で、冷却し収集する複数の収集管が含まれています。
最終製品は、ガンマ線チャージされた液体ヘリウムの中へと収集されます。
2002年9月現在、アメリカはヘリウム1リットルにつき53.5ピコキューリーの “Pentagon” を製造しました。
Pentagon“が使われる時には、このヘリウムの中から “Pentagon” を抽出するプロセスがありますが、このプロセスは機密扱いです。

.「ランス」は、ロスアラモス、ブルックヘブン、リバモア、サンディア、サバンナリバープラントからの科学者によって共同で運営されています。
ジェネラルアトミックスという会社が「ランス」を建設しました。イーグルシステムズは、元請会社となっています。

.ある情報ソースによれば、”訪問者達”は、 “Pentagon” がどの様に製造されたのか説明しました。
しかし、”訪問者”が我々が完全には理解することができなかったシステムを説明していた時から、我々の科学者はその情報の断片をとって実験を始めていました。
アメリカは、1977年にロスアラモスで最初の “Pentagon” 製造に関する実験を行いました。

.”Pentagon” は、水素の第5同位元素です。それは、半減期が0.34222秒の放射性元素です。
しかし、複雑な収納装置により、 “Pentagon” は長期間保存できるようになりました。
あるとき、アメリカの科学者達は、 “Pentagon” が水星で自然に生成されているという事を発見しました。
Pentagon” の蒸気が、水星の大気中の低層で検出されました。
2006年に、NASAは “Pentagon” を収集する事を目標に水星へ探査機を送る予定です。
ロスアラモスは、この秘密プロジェクトを “Pindall” と呼んでいて、宇宙探査船により “Pentagon” を収集する特殊な方法を検討しています。

.”Pentagon” は、CR内部でエネルギーの生成プロセスを悪化させる物質です。
CR内部の “Pentagon” は、放射性がなく劣化しません。

.変圧器内のエネルギー出力を増幅する為に “Pentagon” を使っている実験もあります。
現在、サンディア研究所ではこの実験を行っています。この実験は、第3技術棟にて行われています。

.「ランス」の責任者は、エネルギー省のフィリップ・コンクリン氏です。

.「ランス」は、2008年に拡張されます。それには、2つの新技術を用いた “Pentagon” 生産設備が追加される予定です。

.それは、MITとマイアミ大学がクロロフルオロカーボンシステムを使って、Hydrogen-5を収集する実験を行ったことによると思われます。
しかし、エネルギー省によるとこの方法は上手く機能しないという事です。

.同様に収集されたHydrogen-4は、とても不安定でありどの様な方法でも長期間保存する事が困難である事がわかりしまた。

.「ランス」は、現在62名の科学者と技術者によって構成されています。


2.CRに関する最新情報 (CRとは、Crystal Rectangle の略で、イーブ人のエネルギー発生装置です )

.1956年以降、CRを使った多くの実験が行われました。
大部分の実験は、ロスアラモスまたは、エネルギー省との契約を交わした会社によって行われました。
CRが次のように記述されたのを思い出してください。
大きさは26cmx17cm×2.5cmで、重さは728グラムでした。
2つのCRが存在する可能性があります。 一方は668グラムで、他方は728グラムでした。
機密文書の中で、次のような表記方法を見つけることが出来ます「PVEED-1」。
これは、PVEED-2が存在するという意味にも考えられます!
科学者達は、CRの事を”PVEED“または”魔法の小箱(The Magic Cube)”と呼びます。
(PVEED = Particle Vacuum Enhanced Energy Device 真空微粒子エネルギー増幅装置)

.エネルギーを出力する際に、CR内部に小さな点が回転するということを覚えてますか?
我々の科学者達は、この点に含まれる物質を発見しました。この点は、チャージされた真球状の反物質のかけらである事が判りました。
我々の科学者達は、この物質が実際に働き始まるまでどの様に安定状態を保っているのかという事までは解明できていません。
彼らは、CRが電力の供給を開始するとき、その反物質がどの様にエネルギーを作り始めるのかも解明できていません。

.科学者達は、CRがまだ発見されていない数種類の未知の素材で出来ている事を見つけました。
材料の内のひとつは、炭素と似ています。しかし、我々が知っているような炭素ではないようです。
もう一つの物質は、亜鉛(亜鉛と同じ密度ではない)と類似しています。

.科学者達は、CRに対する電力の要求が止まったときの反物質と中性子の出現と消滅に関する動きに関しても説明することができません。

.科学者達は、CRの常温が何故72度であるのかという説明もできていません。
CRを直接熱しても72度である事に変わりはありません。なぜそうなるのか、全く解明できません。

.科学者の中には、地球軌道上の未知の衛星によってCRが動いていると考える者も居ますが、CRを完全にシールドしてもCRは変わらず動作します。

CRに電力の要求がなされると、CRは23.450MHzの周波数の信号を発します。
しかし、更に電力の要求が高まると、周波数は23.450Mhzから46.900MHz、最初の2倍の周波数になります。
しかし、電力の要求が減ると、周波数は1.25KHzまで低下します。電力の要求がない場合は、一定の周波数のままです。
それでも、どれほどの電力を取り出そうとも、最高周波数は46.900MHzより高くなることはありません。

.水平ワイヤーに小さな正方形の物体があったのを覚えていますか?
ワイヤーは、タングステンに類似している事が判りました。
ワイヤーは、エネルギーが中性子に当たって流体の中のワイヤーに跳ね返ってくる事によりエネルギーを伝搬しています。
電力が供給されている間、小さな点はワイヤー対して跳ね返ります。
思い出してください、電力を出力する際に、特定のワイヤーだけが反応して膨らんだ事を。
科学者達は、電力の要求量によって、特定のワイヤーだけが膨らむのだと考えています。
どうやら、出力されるエネルギー量は、この正方形の物体の量によって決められているようです。

.アメリカ政府は、CRのコピーを作ろうとしました。
2001年になり、政府は遂にコピー品を1つ作り上げましたが、非常に短時間しか動作しませんでした。
この作業に関しては超機密扱いで、さらに、その装置はネバダテストサイトで爆発し、2人の作業員が負傷しました。

CRに関するスケジュールは以下の通りです。

1)1947年 第2墜落現場で、CRが発見される
2)1949年 ロスアラモス科学者は、最初のCRの実験を行いました。
しかし、その時それが何であるのか誰も知りませんでした。
一部の科学者は、単に窓ガラスの一部であると考えていました。
3)1954年 サンディア研究所は、CRに関するいくつかの実験を行いましたが、実際の使用法は判っていませんでした。
4)1955年 CRは実験のためウエスティングハウス社に貸し出されました。
5)1958年 CRは素材を調査する為に、コーニンググラス社に貸し出されました。
6)1962年 CRの最初の「公式」テストは、ロスアラモスが機密レポートとして公表しました。
7)1970年 CRは単なる窓ガラスではないと確信するに至りました。
CRは宇宙船の空間にフィットすることが発見されました。
この為、科学者達はCRがある種のエネルギー系デバイスであると断定しました。
8)1978年 CRは宇宙船に電力を供給した高電力エネルギー装置であると断定されました。
9)1982年 CRに関する最初の実験が行われ、CRはエネルギーを発生しました。
10)1987年 CRは広範囲の調査のため、E-システムズ社に貸し出されました。
11)1990年 CRは無限の電力を発生する装置である事が証明されました。
CRの製造法と仕組みの研究が進みましたが、誰もその仕組みを理解できませんでした。
12)1998年 CR解析プロジェクト「The Magic Cube」が開始され、解析に関する努力が一層加速しました。
13)2001年 CR解析プロジェクト「The Magic Cube」は、ロスアラモスのフューチャー部門からスペシャルプロジェクトのセクションKへ移管されました。

.2002年9月現在、CRはロスアラモスのセクションKの施設内にあります。


3.”訪問者達”に関する最新情報 “プロジェクト・グリーム”(詳細は後ほど)に基づき、アメリカ政府は我々の”訪問者達”と通信を開始しました。
  通信システムは、大変複雑な超機密扱いの一連の中継局と通信衛星で「エシュロン」と呼ばれています。
  それは国家安全保障局(NSA)ではなく国防総省によって運営されています。

.”訪問者達”がこの地球に来たり、通信を行った記録は以下の通りです。

1)1964年4月    ニューメキシコ州ソコロ
2)1969年4月    ニューメキシコ州ホワイトサンズ
3)1971年4月    ニューメキシコ州ホワイトサンズ
4)1977年4月    ニューメキシコ州ホワイトサンズ
5)1983年11月    場所は不明。カートランド空軍基地だと考えられる
6)1990年11月6日  ニューメキシコ州ホワイトサンズ
7)1997年11月    ネバダテストサイト
8)1998年11月    ネバダテストサイト
9)1998年11月    ネバダテストサイト
10)1999年11月    ネバダテストサイト
11)2001年11月    ネバダテストサイト

.異星人の次回訪問予定は以下の通り。
  2009年11月 ネバダテストサイト


4.科学者達に関する最新情報 .以下は、”The Program”へアクセス可能な科学者/当局者のリストです。

ヘンリー・G・チャイルズ提督、アメリカ海軍(退役)、アメリカ海軍士官学校
ウィラード・H・ミラー、アメリカ海軍司令官(退役)、Eシステム
ビックアレッシ、アメリカ工業連合
スティーヴ・チュー、スタンフォード大学物理学部
チャールズ・B・カーティス、核脅威イニシアティブ(NTI)
デリック・J・オルターソン、エネルギー省、アメリカ空軍
シャーリー・A・ジャクソン、レンセラー工芸学校学会
レイモンド・ジャンロー、カリフォルニアのバークレー大学
ポール・メッシーナ、カリフォルニア工科大学
ロバート・W・ヌーナン、パリサディス研究学会
クリストファー・W・マウチェ、ローレンスリバモア研究所
ゲルハルト・L・ワインバーグ、科学研究エージェンシー
ハリスウ・エズレー、MIT
E・バーンズ、技術的学科研究所
ジェームズ・シャーリー、MIT
チャールズ・ヨースト、アメリカ空軍
アルフレッド・ハバード、国家安全保障局
アルバート・オスターヘルド、EG&G社
コナード・L・カーラー、EG&G社
ロバート・E・ミラー、BDM
ジェイソン・D・メンゼル、ノースウェスタン大学物理学部
カルマン・クラウス、ロスアラモス研究所
ジョージ・ハゥフマン、ロスアラモス研究所
ライル・ロスマート、ロスアラモス研究所
リチャード・デビット、ロスアラモス研究所
アーサー・ランドル
スタンリー・シュナイダー
ロバート・フレンド
フィリップキートン
リチャード・エルメス
クライド・ネイバーヘイマー
チャールズ・シェルドン
レオ・ブラーナ
R・B・ウィリンガム
アーノルド・ホワイト
ジェラルド・ロスバーグ博士
ジェームズ・ガーランド
ウィリアム・ヒップス
カーティス・リメイ
ノリス・E・ブラッドベリーJr.、ロスアラモス/DOE
クレイグ・マクファーソン、DOE/EG&G
ディーン・L・ハウスマン、サンディア
チャールズ・A・デルモネート、サンディア
ジョナサン・K・ドーティ、サンディア
バーバラ・K・シップマン、ホワイトハウスの諜報活動部
ニコラス・O・ボウスメンタ、MIT
ハロルド・ジーリン、カリフォルニア研究所学会
ジョンマンリー
MG K・D・ニコルズ
アルバート・アレキサンダー
ノリス・E・ブラッドベリー
T・B・ラーキン
エドワード・テラー
アルヴィン・グラーブ
ウィリアム・ウェブスター
ジェームズ・マコーマック
キャロル・タイラー
ジェームズ・ラッセル
サミュエル・ミケルソン
アルヴィン・ベッツ
グレン・T・シーボーグ
ロバート・オッペンハイマー
デイビッド・リーリエンタール
ダニエル・ギャラリー
ハロルド・ハーモン
5.ロスアラモス研究所の”プロジェクト・グリーム”に関する最新情報 .”訪問者達”と直接コミュニケーションを行う超極秘プロジェクト
複数の周波数を使って行う新型通信装置。この装置は複数の周波数を使って特定の方向に送ります。
光ビームを莫大な速度で推進させらる高速通信システム。これについては詳しくは判りません。
ロスアラモスと数社の契約会社(EG&G社、BDM社、モトローラ社、リスバーン社、サンディア社)は、全てこのプロジェクトに関係しています。
この施設は、ネバダテストサイトのサイト40に造られました。
単なる噂(私の情報源からだけですが)によると、”訪問者達”がこのテクノロジーを提供したという事です。
そのシステムは従来の物より高速に”訪問者達”と通信を行えるという事です。
このプログラムの一部には、ケミカルレーザービームが通信ビームを推進させる仕組みを使っています。
私は専門家ではありませんが説明をしますと、複数の周波数が光ビーム上でまとめられて目標またはレシーバーの方へ推進されます。
レシーバーは、そこからエネルギーの増幅してもう一方のポイント(リレー?)へ再送信します。
ともかく、ケミカルレーザーは光ビームを押し出すように働き、それにより通常の光速よりも早く推進させることが出来ます。

.このプロジェクトに関する詳細な情報は、来年にはあなたのUFOメーリングリストを通じてSERPO.orgに公表されるのではないでしょうか。


6.エリア51からネバダ テスト サイト(NTS)への技術移転 .ネバダ テスト サイト(NTS)は、地上核実験を行うために、旧原子力委員会によって1950年に設立されました。
試験場は、1426平方マイル(3693平方キロメートル)の実験場と5470平方マイル(14167平方キロメートル)の爆破およびその他の実験場からなります。
NTSは、30のエリアに分けられます。そして、それぞれは更にユニットに分けられます。
核実験は、30エリアの中の8カ所で、地表および地下にて行われました。
マーキュリーは、NTSのベースキャンプです。
マーキュリーは、NTSを運営する為の全ての支援施設を含みます。
公式には、エネルギー省が元になっていて、Bethtelが運営を行っています。非公式には、NTSはアメリカ軍支援組織「リマ」によって管理されています。
「リマ」に関していくら公式文書を探しても見つけることは出来ません。「リマ」は機密扱いのユニットなのです。
NTSの警備員は、公式にはエネルギー省と独占契約したワッケンハット警備社によって行われています。
しかし、185人のワッケンクット社警備員の中の57人は実際に司法省によって任命された連邦捜査官です。
更に80人のアメリカ陸軍の憲兵が、機密扱いの警備員としてNTSで働いています。
更に44人のアメリカ空軍の憲兵が、エリア6のユニット23Aにある特別格納施設(Special Storage Facility = SSF)で警備活動を行っています。
SSFは特別な備蓄武器(核兵器)保管しています。
アメリカ政府は核実験禁止協定条約により定められた数以上の核兵器を公式には所持していない事になっているので、SSFの存在は機密扱いになっています。
SSFには、およそ300機の核兵器が保管されています。
このSSFの隣に機密扱いの格納施設として知られている「サイトK」があります。
この「サイトK」に何が保管されているのか実際には誰も判りませんが、”訪問者からのプレゼント”が保管されていると考える人達も居ます。
公式には、NTSはいくつかの施設については宣伝をしています。そのひとつはエリア6のユニット2Aの装置組立施設です。
公式出版物によると、この施設では地下核実験前に核兵器の組み立てを行っていますが、非公式には、”訪問者からのプレゼント”の実験を行っています。
もうひとつの施設は、NTSの公式名「大規模爆発実験施設」で、爆発に関するシミュレーションを行っています。
非公式には、「サイトU」への地下入口を持っています。それには1987年に建設された地下実験施設があります。
情報源の報告では、そのサイトUでは”訪問者達”の推進システムを組み立てるのに使われているそうです。
BethtelがNTSを運営していますが、他にも以下に示すいくつかの会社や団体がビルを持っていてNTSで実験を行っています。
 アマドールバレーオペレーションズ
 ロスアラモス
 ローレンスリバモア研究所
 EG&G
 特殊技術研究所
 カリフォルニア大学
 特殊物理学オペレーション研究所
 サンディア国家研究所
 BDM社
 モトローラ
 カイル-ウィット社
 ゼネラルモーターズリモート研究所
 DRAC
 CIA
 NSA
 アメリカ海軍
 アメリカ陸軍特殊部隊トレーニングセンター
 アメリカ空軍科学評価センター
 防御コミュニケーションエージェンシー
 遠隔操作施設
 アメリカ国家偵察局
 アドバンスフィジカル研究所
 MIT
 ケン社
 ゼネラルダイナミックス社

.ヴィクター氏へ 私の情報源からのUFOの歴史的な重要事項に関する日付です。

1)1957年 ロズウェルで捕獲された宇宙船の推進システムの最初の実験。エリア8(ユニット3C)で行われた。
2)1961年 最初の飛行実験は、修理したロズウェルの宇宙船を使ってエリア29(ユニット1B)で行われた。
3)1962年 放射線テストは、ロズウェルの宇宙船を使ってエリア18(ユニット3Z)でロスアラモスの管理下で行われた。
4)1964年 エリア7で推進システムの実験中にロズウェルの宇宙船が爆発事故を起こす。
5)1968年 エリア29(ユニット1B)で、ロズウェルの宇宙船の最初の飛行テストが成功(アメリカ製推進システム、旧式核推進システムを搭載)
6)1970年 エリア25(ユニット8B)で、”訪問者達”の推進システムが爆発事故と起こす。
7)1970年 イーブ#2の住居をエリア15(ユニット11)に建てる。
8)1987年 エリア6、エリア12、エリア26の新しい地下実験施設の建設が始まる。
9)1991年 エリア23(マーキュリー)、エリア14、エリア20、エリア19で実験施設の追加建設が始まる。
全ての支援施設は、ALIEN RESEARCH FACILITY [ARF] と Defense Advance Research Agency (DARA)が使用します。
10)1994年 ARFがグルームレイクからエリア11へ移転を始める。
11)1996年 クリントン大統領がARFを訪問。
12)1998年 ARFがNTSへの移転を完了する。
13)2001年 “訪問者”の新型推進システムの実験が開始される。
14)2002年 「プロジェクト・グリーム」「プロジェクト・デルタ」「プロジェクト・アダム」「プロジェクト・クリスパ」「プロジェクト・オリオン」の実験。
15)2004年 グルームレイクの施設からNTSへの移転が完了する。
16)2006年 パプーズレイクの施設からNTSへの移転が完了する。
17)2008年 エリア13に新しく造られた”訪問者達のための着陸場”が完成する。(NTSへ2009年11月に訪問予定の”訪問者達”の為の施設)

.NTSの情報源から得られたエイリアンの情報

1)アメリカ政府に知られているいろいろなエイリアンのタイプ/種族

a)Ebens(レティクル座、惑星セルポ)

  E B E N S

b)Archquloids

  A R C H Q U L O I D S

c)Quadloids

  Q U A D L O I D S

d)Heplaloids

  H E P L A L O I D S

e)Trantaloids

  T R A N T A L O I D S


7.NTSで開発されている新技術 A.”プロジェクト・デルタ”
エイリアンの宇宙船から特殊な物質を抽出する方法を探る機密プロジェクト
このプロジェクトは、既存のエイリアンの宇宙船から材料を取って、これらを正確に製造する方法を見つけようとしています。

B.”プロジェクト・アダム”
エイリアンの材料がどのように放射を吸収することができるか、跳ね返すことができるかについて探る為、エイリアンの材料に対して放射線/原子力エネルギーを使うプロジェクト。
(ヴィクター氏によるコメント:私はこれについて口頭で状況説明を受けましたが、”アダム”なのか”アトム(原子)”なのか確信がありません)

C.”プロジェクト・クリスパ”
エイリアンの技術を使って、一般向けアプリケーションを開発する超機密プロジェクト。他は判りません。

D.”プロジェクト・オリオン”
エイリアンの推進システムを実験しているプロジェクトです。詳細は後述します。

E.”プロジェクト・ほげほげ(名称不明)”
エイリアンの技術を使って医療実験を行う超機密プロジェクト。
NTSにあるマイアミ医科大学とアームドフォースインスティテュートテクノロジー社の両方で行われています。

F.”プロジェクト・ほげほげ(名称不明)”
エイリアンの技術を使って宇宙旅行を行う超機密プロジェクト。殆ど詳細不明です。

G.”プロジェクト・シグマ”
エイリアンの宇宙船を学ぶことに関連したプロジェクト。
このプロジェクトは、グルームレイクからNTSへ移ってきました。

H.”プロジェクト・ノマド”
エイリアンの種族について研究する超機密プロジェクト。殆ど詳細不明です。

I.”プロジェクト・スターライト”
殆ど詳細不明ですが、エイリアンの技術を使った宇宙に関する研究を含んでいる様子です。


8.宇宙探査の為のアメリカの秘密計画 NSAとNASAは、宇宙探査の為に新技術を開発しています。
NSAとNASAは、深宇宙探査の為に以下の宇宙探査機を配備しました。

.1965年  最初の深宇宙探査機、コード名:「Patty」

.1967年  第2深宇宙探査機、コード名:「Sween」

.1972年  第3深宇宙探査機、コード名:「Dakota」

.1978年  第4深宇宙探査機、コード名:不明

.1982年  第5深宇宙探査機、コード名:不明

.1983年  第6深宇宙探査機、コード名:不明

.1983年  第7深宇宙探査機、コード名:不明

.1983年  第8深宇宙探査機、コード名:「Moe」

.1985年  宇宙探査機は、スペースシャトルのミッション51-J上から発射されました、コード名:「Sting Ray」
(ヴィクター氏のよるコメント:私は、これが実際の通信衛星だったのか、その他の探査衛星だったのかよく判りません。)

.1988年  第9深宇宙探査機、コード名:「Amber Light」

.1988年  第10深宇宙探査機、コード名:「Sandal Slipper」

.1989年  第11深宇宙探査機、コード名:「Cocker Peak」

.1992年  第12深宇宙探査機、コード名:「Twinkle Eyes」

.1997年  第13深宇宙探査機、コード名:「Kite Tangle.」

これらの探査衛星は、エイリアンとの通信を行うために使用されました。
彼らは通信のために、ある種のリピーターシステムを構築しました。
これ以上の詳細は判っていません。


9.新型の推進システムについて 新型の推進システムはNTSで開発されています。超機密扱いではありますが、このシステムは実際のエイリアンテクノロジーを使ってアメリカの航空機に使われる為の物です。
私は、次回NTSへ行く際には、あなた達にお知らせする情報をもっと得てきたいと考えています。

まだまだ続きますよ...

アノニマス

Eメール#18へ   Eメール#20へ


アノニマス氏からのEメール#18

これは、アノニマス氏によって2006年4月3日に投稿された18番目のメールの内容です。

■ビル・ライアン氏によるメモ
このメールは、2006年4月3日にヴィクター・マルチネス氏宛に送られたものです。
[]内に書かれたコメントは、ヴィクター・マルチネス氏によって書かれたものです

ビクター氏へ

以下の情報は、我々のチームが惑星セルポへ持って行った機材に関する情報です。

以下のリストは、「プロジェクト・クリスタルナイト(※)」から抜粋しました。
(※7名のチームメンバーが1978年に帰還した後、プロジェクト・セルポと改名されました。また、報告書は1980年に完結しました。)


■1 音楽 — チームメンバーは、次の音楽を持って行きました。

Elvis Presley (エルビスプレスリー)
Buddy Holly (バディホリー)
Ricky Nelson (リッキーネルソン)
The Kingston Trio (キングストントリオ)
Brenda Lee (ブレンダリー)
The Beach Boys (ビーチボーイズ)
Bob Dylan (ボブディラン)
Peter Paul & Mary (ピーターポール&メアリー)
The Beatles (ビートルズ)
Loretta Lynn (ロレッタリン)
Simon & Garfunkel (サイモンとガーファンクル)
The Hollies (ザ・ホリーズ)
Chubby Checker (チェビーチェッカー)
Bing Crosby (ビングクロスビー)
Dinah Shore (ダイナショア)
Vera Lynn (ヴェラリン)
Tommy Dorsey (トミードーシー)
Ted Lewis (T・ルイス)
Ethel Merman (エセルマーマン)
Everly Brothers (エヴァリーブラザーズ)
Lesley Gore (レズリーゴア)
Marline Dietrich (マーリンディートリッヒ)
The Patters (ザ・パターズ)
Doris Day (ドリスデイ)
Connie Francis (コニーフランシス)
Shirelles Lyrics (シェリルリリックス)
Frank Sinatra (フランクシナトラ)
Dean Martin (ディーンマーティン)
Perry Como (ペリーコモ)
Guy Lombardo (ガイロンバード)
Glenn Miller (グレンミラー)
Rosemary Clooney (ローズマリークルーニー)
Al Jolson (アルジョルソン)

クリスマスミュージック
アメリカの愛国的な音楽

クラシック音楽:
モーツァルト
ヘンゼル
バッハ
シューベルト
メンデルスゾーン
ロッシーニ
シュトラウス
ベートーベン
ブラームス
ショパン
チャイコフスキー
ビバルディ

インドの合唱曲
チベットの聖歌
アフリカの民族音楽
[以上の3曲はイーブ人への贈り物として]


■2 衣類 — チームメンバーは、以下の衣類を持って行きました。

フライトスーツ 24着
下着(パンツ/シャツ) 112式
くつ下 220足
ジャングルハット 18個
野球帽 18個
さまざまな靴 50足
軍服と荷物用ベルト&ハーネス
軍バッグ
カジュアルなパンツ 30着
ショーツ 
ノースリーブシャツ
アスレチック用シューズ 15足
アスレチック用ソックス 100足
アスレチック用サポータ 8個
防寒用下着 24着
防寒用ソックス 24足
防寒用ブーツ 6足
軍用手袋 60束
軍用衛生手袋 10箱
防寒用手袋 6組
ランドリーバッグ 10個
使い捨ての外科用手袋
軍用暖気用ジャケット
軍用防寒用ジャケット
一般用防寒用ジャケット
サンダル 10足
軍用安全ヘルメット 24個
軍用飛行ヘルメット 24個
補修用などの布 1000ヤード分


■3 医療機器 — チームメンバーは、以下の医療用器材を持って行きました。

ポータブルX線撮影装置
胃や膀胱用内視鏡
検眼装置
軍用携行用メディカルキット 100式
軍用外科治療キット 120式
軍用フィールドメディカルキット(各種医薬品を含む) 120式
軍用フィールド衛生用キット 30式
軍用水質検査キット 75式
一般用水質検査キット 50式
ファースエイドキット 75式
軍用食物検査用キット  1200式
さまざまな外科用用具  500個
軍用殺虫パック 5000個
輸血用キット 250個
軍用医学検査用キット 16式
一般用医学検査用キット 50式
軍用医療用テント 5式
軍用血液検査用キット 18式
軍用科学検査用装備 3式
一般用生化学検査キット 2式
軍用放射線治療キット 15式
雑多な医療用具 1000ポンド分


■4 試験機材 — チームメンバーは、以下のテスト器材を持って行きました。

地質学検査用具 100式
軍用土壌用検査用具 2式
一般用科学検査装置 2式
放射線測定メータ 6式
軍用放射線測定装置 2式
一般用生物学検査装置 2式
100ccの牽引装置 2台
100ccの採掘用牽引装置 4台
天体望遠鏡 16台
軍用星観測装置 2台
軍用発電機(1~10,000W) 4台
一般用発電機 4台
軍用太陽熱収集装置
軍用FMトランシーバー 50台
野戦用トランシーバー 6台
軍用無線機修理キット 50式
各種真空管 1000本
軍用電気機器修理キット 30式
軍用太陽観測装置 3式
太陽観測器 1式
太陽熱吸収パネルと容器 10式
軍用大気検査用キット 10式
一般用大気検査用キット 5式
ダイアモンドドリル 6式
軍用特殊工作用キット 10式
C-4爆薬 1000ポンド
C-4用信管 500個
起爆用ケーブル
時限式信管
核爆弾用起爆装置 1式


■5 雑多な器材とアイテム– チームメンバーは、以下の雑多な器材/アイテムを持って行きました。

軍用毛布 100枚
軍用シーツ 100枚
野戦用装備品キット 24式
野戦用テント 80式
軍用移動式調理用装備 4式
暖気時用サバイバルステーション 6式
寒冷時用サバイバルステーション 6式
野戦用気象観測装置 2式
軍用気象観測気球 50式
M-19拳銃 24丁
M-16ライフル 24丁
M-66拳銃 6丁
M-40グレネードランチャー 2丁
軍用60mmモーターチューブ(30巻) 2式
照明弾 100発
M-16用.223ミリ弾 5000発
.45ミリ弾 500巻
M-40用グレネード 60発
フロンガス噴霧器 15式
圧搾空気噴霧器 15式
酸素用タンク 20個
窒素用タンク 20個
切断用・試験用などの各種ガスタンク 20個
軍用寝袋 75個
軍用枕 60個
軍用ベッド 55個
野戦用居住装備 6式
各種南京錠 250個
各種ロープ 6000フィート分
撃退用キット 24式
深穴用ドリル 10台
燃料 1000ガロン
軍用レコードプレイヤー 4台
軍用カセットテーププレイヤー 10台
軍用オープンリールプレイヤー 10台
各種ベルト 60本
軍用録音装置 10台
軍用情報収集キット 25式
雑多なアイテム 1000種類


■6 車両 — チームメンバーは、以下の手段を持って行きました。

戦闘用オートバイ 10台
M-151軍用ジープ 3台
軍用トレーラー 3台
軍用ジープ修理用キット 10式
オートバイ修理用キット 10式
軍用草刈り器 1台
上記用燃料 1500ガロン


■7 食物 — チームメンバーは、以下の食品材料を持って行きました。

Cレーション 
包装済みの食糧 25箱
フリーズドライ食糧 100箱
各種缶詰 100箱
ビタミン剤 7年分
エネルギー補給バー/スナック 100箱
飲料水 1000ガロン
サバイバルフード 150個
各種アルコール飲料 16箱
各種飲料 150箱
チューインガム、救命用キャンディーなど雑多な食糧


■8 雑多なアイテム — チームメンバーは、2,000ポンドのいろいろな他のアイテムを持って行きました。

その他、多数。


アノニマス

Eメール#17へ   Eメール#19へ

アノニマス氏からのEメール#17

これは、アノニマス氏によって2006年3月28日に投稿された17番目のメールの内容です。

■ビル・ライアン氏によるメモ
このメールは、2006年3月28日にヴィクター・マルチネス氏によって彼のメーリングリストに投稿されたものです。
[]内に書かれたコメントは、ヴィクター・マルチネス氏によって書かれたものです

ヴィクター氏へ

ここにビル・ライアン氏のWEBサイトにアップされたイーブ人のオブジェクトの説明があります。
10年間に及ぶ惑星セルポへの偉大なる交換留学計画(実際には13年に及んだ)。
様々なチームの担当部員達は、どの様な物資・設備を持っていくのかを検討しました。
彼らは、どの様な道具や設備が必要になるのか、ありとあらゆる場面を想像しようと努力しました。
ミッションチームは、16種類ものカメラと製図・デッサン用具を用意しました。
チーム・メンバーは、製図やデッサンに関する訓練を行いませんでしたが、3人のチーム・メンバーは大学での経験がありました。
交換留学に際して、色々な種類の製図やデッサンのテンプレートが用意されました。
計画を立案するチームの担当者達は、テンプレートが必要になるだろうあらゆる場面を想像しました。
チームコマンダーによって描かれた“イーブ人のオブジェクト”の図面ですが、これは惑星セルポでイーブ人達に広く使われている日時計の土台部分のスケッチです。
それぞれのオブジェクトは、イーブ時間のそれぞれの時間を意味しています。
太陽光が、日時計の土台のそれぞれのオブジェクトに当たるとき、それぞれ特定の仕事をイーブ人達に指示する事になります。
例えば、それは仕事のスケジュールの変更の信号であったり、休息時間、食事の時間、あるいは祝祭の時間であったりと...
数年後にはチームメンバー達は、それぞれのシンボルの意味を理解しました。
この図面は、1967年にチームコマンダーによって描かれた実際の図面のコピーです。
チームは、更に多くの日時計に描かれたシンボルの写真を撮りました。

私は、私達の悪口を言う人々や懐疑論者達が、私達のメッセージやこの驚くべきミッションについて非難する議論をしている事を承知しています。
しかし、これは口やかましい人々が納得する実際の写真を用意すれば十分でしょう。

また、連絡いたします! 

アノニマス

Eメール#16へ   Eメール#18へ

アノニマス氏からのEメール#16

これは、アノニマス氏によって2006年3月9日に投稿された16番目のメールの内容です。

■ビル・ライアン氏によるメモ
このメールは、ネバダ州ラフリンで開催されたUFO会議に出席しているときに受け取ったもので、2つのパートがあります。

1)イーブ文字のサンプルです。左が全体図で右が拡大図です。いずれもクリックすると拡大表示します。

2)従来通り原文通りに記述されたチームコマンダーの日記で、最終的な文章としては明らかに不完全です。

イーブ人に我々の科学技術を伝えることは、とても困難な事だった。
どうやって彼らのアインシュタインの説明をしたらよいのだろうか?
逆に、彼らは彼らのアインシュタインをどうやって我々に説明してくれるのだろうか?
我々は、我々の科学と彼らの科学を結びつけるのに随分な時間を掛けた。
しかしながら、彼らは我々の科学・物理学について、我々が彼らの科学を理解するより早く理解したようだった。
我々は、彼らの奇妙なテクノロジーのいくつかを観察することができた。
最初に、我々はベルトに装着しているロケーターと呼ばれる装置の分解してみた。
この装置には、一切のネジやボルトが無く分解は簡単ではなかったので、壊して分解した。
中の電子部品は、これまで見たことがない物だった。
我々が知っているようなトランジスタ・真空管・ダイオード・コイルなどは使われていなかった。
そこには、特定のポイントを接続する膨らみを持った電線が使われていた。
内部には2つの構成部品があったが、いずれも見たこともない物だった。
我々は、この装置が送受信している周波数を測定しようと、周波数カウンターを使ってみたが、測定できる周波数ではなかった。
633と661は、いろいろな機器を使って解析を試みたが、理解には及ばなかった。
我々は、イーブ人科学者を訪ねてみた。(彼をイーブ#4と呼ぶ事にする)
しかしイーブ#4は英語を話せなかったので、イーブ#2が通訳をしなければならなかった。
イーブ#2は上手く英語を話すけれども、翻訳を繰り返すことで失われる事も沢山あった。
我々は、モトローラ社の無線機をイーブ#4に見せた。
モトローラの新型FM無線機は4チャンネル切替式の複雑な物だった。
661は。イーブ#4の前で無線機を分解し、周波数を決める水晶(クリスタル)発振器について説明したが、イーブ#4は理解できなかったようだ。
我々がその無線機について考え込むのと同じように、彼もまた考え込んでいた。
イーブ#2は、イーブ#4がその無線機がどの様に動作するのか理解できなかった事を伝えてきた。
これが我々のジレンマだった。
どうやって、お互いの科学技術を交換したらよいのだろうか。
我々は、お互いの文明を最初から学ばねばならなかった。
そこで、我々は学校を始めることにした。
最初は大変だったが、単純な事柄から始めることにした。
我々の情報も、彼らの情報も類似点は多数あるように思えた。
最初は、光を題材に選んでみた。
以前教鞭を執ったことがある661は、波長について話し始めた。
661は、非可視光とオングストローム(訳注:主に波長を表す単位、1万分の1ミクロン=0.1ナノメートル)について話し始めた。
続いて、光のスペクトルを示した。
661は、我々がどうやって宇宙線の測定を行うのかを示した。
更に、ガンマ線、X線、紫外線へと話を進めた。
661は、我々が光を電磁波と呼んでいるとも説明した。
イーブ時間の一日(訳注:惑星セルポの1日は地球時間の約43時間)を費やして、661は光・波長・周波数帯について彼の知っている全てを話した。
この間、何人かのイーブ人がやってきて661の話を聞いていた。
イーブ#2は、これらの翻訳という大仕事を任された。
イーブ#2は、661が話したこと全てを翻訳できなかったので、通訳には大変な時間を要した。
それでも、彼女は661が話した全てを通訳するという大仕事をやってのけた。
イーブ#4は661が話した全てを理解したとは思わなかったが、それでもそれほど時間を掛けないで661が教えたことを理解していたようだった。
661は、我々の試験装置の内の1つの修理説明書をイーブ#4に見せた。
我々が持ってきたのは、軍用品ばかりだったので、それも軍用の説明書だった。
その説明書には、回路図も書かれていた。
イーブ#4は、完全に混乱したようだったが、最後には、661が彼に見せた試験装置の内部を理解した。
続いて661はオームの法則、電圧、電流などの異なる単位形式について電気の基礎理論を話し始めた。
控えめに見ても、イーブ#4は混乱していたようだった。
しかし、話を聞いていた別のイーブ人の一人が素早く理解をし始めた。
我々は、このイーブ人をイーブ#5またはアインシュタインと呼ぶことにした。
彼は特別に賢かった。例外的に賢いと思った。
3年かかって、最終的に我々の科学の知識を理解したイーブ人に出会うことが出来た。
唯一の問題は彼が英語を話さなかったことだ。
それでも、イーブ#5はイーブ#4がしなかったような質問を我々に投げかけてきた。
数回のレッスンをした後、最終的にイーブ#5は我々が何を言っているのか理解することができた。
イーブ#5のIQは300程あるのではないだろうか。
イーブ#5は、661が出した回路中の抵抗値を解く基礎電気回路などを次々と解いていった。注目に値する場面だった。
こうしてイーブ#5は、我々の最も優秀な生徒となった。
彼は、いつも我々を追い回し、イーブ#2を介して様々な質問をぶつけてきた。
イーブ#2が居ない時は、少し残念そうだった。
我々は彼と多少の英語で話をするか、420または475に通訳をして貰って会話をした。
420だけは、イーブ#5が何を言わんとしているのか最もよく理解していた様子だった。
それに、もう一つの興味深い点として、イーブ#5は他のイーブ人達とは少し違って見えた。
この数年間で、我々は特に北方で生活しているイーブ人達と南方で生活しているイーブ人達が、少し異なっている事に気付いていた。
北方のイーブ人達の方が、頭部が大きく、顔つきがよりしわっぽく見えた。
イーブ#5は、北方出身で、我々の村から5キロほど北へ行った所に住んでいた。
私は、4432の日記に書いた地図に北半球の全ての集落を記した。
我々はまだ全ての集落を訪れてい訳ではないので、もっと他に集落があるのか確信はない。
イーブ#5は独身だった。独身のイーブ人は珍しいが、全く居ないというわけではなかった。
我々は他にも独身のイーブ人達を知っていた。
我々はイーブ#5の私生活を調べるようなことはしなかったが、518は知りたがっているようだった。
以前の日記で、ネジやボルトなどに代わるイーブ人達の技術について解説をしたが、彼らはそれらを全く持っていなかった。
彼らが作る全て物は、ハンダ付けや溶接のような手法で封をしていた。
彼らの工場を訪問した際に、彼らが家具やヘリコプターなどを非常に効率よく製造していたので驚いた。
我々はまだ彼らの宇宙船製造工場を見学したことはなかった。
それはここから南西の遠い場所にあるという事だったが、いつか見学しようと思っている。
我々には、まだ少なくとも地球時間で7年残っている。
以前にも書いたが、我々はもう何年も前から地球時間が判らなくなってしまった。
今日、我々はフェスティバルに呼ばれた。なんと豪華なお祭りなんだ。
先日、我々は最後のCレーションを食べ終わってしまったが、イーブ人達は特に我々に食事の世話をしてくれなかった。
以前にも書いたとおり、イーブ人達は食肉用に野獣を捕獲することを許可してくれていたので、我々は、野獣を捕まえた。
肉質は悪くなかった。私は食べたことがなかったのだが、899は熊肉のような味がすると言っていた。
ところで、我々が肉を食べるとき、イーブ人達は我々を奇妙に思っているようだ。
奇妙なことに、彼らは人間やその他生物のクローンを作ることはできるのに、肉を食べる習慣はないようで、彼らこそとても奇妙だ。
彼らは、我々が何を食べるにしても、我々にはタンパク質が必要な事を理解し、それを許してくれた。
我々は最後の塩とコショウを使ってしまったが、それは彼らの食物を食べるへの挑戦を加速させる事になった。
イーブ人達は、塩・コショウの類を使っておらず、彼らはオレガノの様な酸味のあるハーブを使って調理をしており、我々には新しい味だった。
お祭りはとても素晴らしい物だった。
我々はイーブ人らのダンスに参加してみた。とても楽しかった。彼らは、とても楽しげに踊り、奇妙なゲームを楽しんだ。
このゲームについては以前にも記録したが、今回とは少し違っていた。
そのゲームは、チェスのような感じで、イーブ人達が大きな四角の中に立っていた。
その四角は、24マスに分割されていて、それぞれのマスには、更に2つのスポットがあった。
どうやってイーブ人達が移動するのか、我々にとってはミステリーだった。
一人のイーブ人が何かをしゃべると、別のイーブ人が動くというようで、チームで行うゲームのようだった。
1チームは6人で構成されていた。
結局、最後までよく判らなかったのだが、最後にはイーブ人らは勝利のダンスと思われるダンスを踊った。
実に楽しい一日だった。
我々のチームは、数人のイーブ人達とソフトボールをプレイした。
彼らはボールが地面に落ちる前にキャッチするという事が、なかなか判らないようだったが、それでもみんなで楽しんだ。
イーブ人達の中にも人間のように、運動能力に優れた者も居れば、逆に運動能力がない者もいた。
雨が降ってきたので、ソフトボールを中止して、集落の建物に入った。
食事を済ませた後、それぞれの住居へ戻った。
我々は、毎夜ブリーフィングを行っている。お互いの心理状態と健康状態をチェックしあっている。
一日が終わり、次の8時間が始まる。以前から説明している通り、イーブ人達の一日は我々と大きく異なっている。
約10時間労働した後、約4時間の休息を取っている。
しかし、彼らの日時は長いので、我々は地球時間の使用を止めて、イーブ時間を使用することにした。
理解しにくい所もあるが、これはただの日記だ。
地球に帰還したら、我々が地球時間の代わりにイーブ時間をどの様に使ったのかをじっくり説明しよう。
私は、できるだけ日記に時間を書き入れるようにするが、それはとても重要なメモだ。
我々は既にここに地球時間で3年滞在しているが、既に地球時間を使用することを諦めてしまった。
我々は、2つの太陽を使って日時をカウントする方法を編み出そうとしたが、うまくできなかった。
また、腕時計を使う方法も考えたのだが、結局はダメだった。
それで、我々は地球から持ってきた時計の類の使用を諦めて、イーブ人の時計塔を使用することにした。
それぞれの村には1つの塔があり、そこに記された記号を理解するのは簡単なことだった。
それぞれの記号は、時間と就労期間が記されていた。
お祭りの後、イーブ#2がやってきた。
イーブ#2は、754の事を心配していた。以前にも書いたが、754は病気になっていた。しかし、今は回復している。
我々は、彼が何で苦しんでいたのか判らなかった。しかし、700はペニシリンを使って754を治療していた。
我々は何らかの病気を持っていたが、頑強な岩のような肉体を持つ899は風邪さえひかなかった。
706(訳注:700の誤記と思われる)と754は、各チームメンバーの健康状態に関する詳細な記録を残している。
我々は到着以来、きまった体力トレーニングプログラムを行おうとしていた。
できる時とできない時があったが、しかし、少なくとも肉体的には、みな良好だ。
だが、精神的には何某かの問題もあった。私もそうだが、一部のメンバーは地球を恋しがっていた。
でも、各チームメンバーは自制心を失わず、700や754からのメンタルサポートを必要とはしなかった。我々は選ばれし者達だ。
忙しくしていることは、我々にとって薬だった。我々は課せられた任務の完了を目指していつも忙しく働いている。
最近の会議で、203と私は、軍隊式の挨拶や敬礼を止めることを決めた。
私は、軍人らしい態度やマナーは維持しつつも敬礼は止めることにした。これにはチームメンバー達も同意してくれたし、私も特に問題はなかったと思っている。
我々がそうする様にイーブ人達も彼ら流の挨拶をする。彼らは時刻によって挨拶のやり方が違っている。
例えば、ある時間には抱き合うように挨拶し、ある時間は指をさわり、ある時間はお辞儀をしているが、我々にはなぜそうするのかは判らない。
しかし、イーブ#2はそれが正式な挨拶であると説明してくれた。
イーブ人達は、きっちりとしたとても厳格な生活を送っているが、多少そうでない者達も居た。
軍隊は誰もがきっちりと整列している。以前にも書いたとおり軍隊は警察的な働きもしている。
彼らは武器を携帯していないが、他の者達とは違った制服を着ており、一般のイーブ人達はその制服に敬意を表していた。
軍隊は、常にパトロールをしていた。彼らは二人一組で行動し、とても親しみやすい様に見えるが、とても厳しい。
ある時、二人のイーブ人が向こうを歩いているのを見たが、二人の軍人が彼らの近くに駆け寄り建物を指さしていた。
二人のイーブ人は、その軍人らとその建物へ歩いていった。軍人達はそのイーブ人らに何かを叫んでいた。
420も475もその叫び声の内容を翻訳することは出来なかったが、私は二人のイーブ人が何か習慣か法律を犯したのではないかと考えている。
我々も以前に近づいてはいけなかった場所に接近した際に、軍人らに警告を受けたことがあった。
軍人らが我々に何か指示をする際にはとても丁寧だったが、我々が彼らの習慣や法律を犯すことがあると警告なしに制止された。
我々が最初に砂漠地帯でヘビの様な生き物を殺したとき、すぐさま6人の軍人が駆けつけてきた。
事情を説明して納得してもらうのに随分と時間が掛かった。
それでも、彼らは我々に触れることもなく、何の脅迫もなかった。
我々は彼らに適切に対応したので、彼らもまた適切に対応してくれたようだ。
我々は課せられた任務をこなしていくけれど、彼らは何をするにも許可をしてくれた。
唯一禁じられたのは、個人の住居への立ち入りだった。
かつてそれをやってしまった時、我々は軍人らによって丁寧に外に連れ出された。
軍人は実際に必要な数以上にいたように思う。
彼らにも武器はあるのだが、現実的には武装した軍人に出会うことは滅多になかった。
しかし、先日の警報が発令された時は、武装した軍人を多数見た。
休息時間が終わった頃、イーブ#2が我々のところへやってきて、興奮したようすで我々に外出しないように言った。
我々が理由を尋ねると、イーブ#2は未知の宇宙船が彼らの惑星軌道に侵入したのだと言った。
しかし、軍隊が解決するから心配ないと言った。我々自身も自然に警戒感を強めた。
我々も武器を取り出し周囲を監視する為に、彼女の指示に反して外へ出た。
空を見上げると、多くの航空機が飛んでいるのが見えた。
また、フィールドパックの様な武器などを持った軍人達も見た。
彼らは戦闘機にぎっしり乗っていたと899が叫んでいた。
警報はあまり長くは続かなかった。イーブ#2が戻ってきて全て問題なく終わり警報が解除されたと言った。
宇宙船の正体は判明したのかと尋ねると、彼女はそれは宇宙船ではなく自然の宇宙ゴミで既に飛び去ったと言った。
にわかには信じられなかったが、我々に確認する方法はなく、そのまま通常任務に戻った。

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アノニマス氏からのEメール#15

これは、アノニマス氏によって2006年2月4日に投稿された15番目のメールの内容です。

外側にある円は、ダウンロードしたオリジナルでは見えませんでしたが、ワードで図をスキャンしたところ円が現れました。
この文書ファイルは4MBもあって、ファイル中の要素はマウスでドラッグする事ができたので、画面ショットを作成して縮小画像( http://www.serpo.org/Ebenobject_original.gif )を作成してみました。

上側の画像が原画像です。原画像が少し薄かったので、コントラストを強調した画像が(http://www.serpo.org/Ebenobject_darkened.gif)で、下側の画像です。
画像ファイル名の「Ebenobject」は、アノニマス氏が付けた名称です。
ラベル・説明などは、どの画像にも見あたりませんでした。

■編集注:2006年8月号のムー誌の記事では、筆者である南山宏氏が上図を「イーブ機の平面図」と記述していますが、それは完全に同氏の勘違いです。これは宇宙船の平面図ではなく、惑星セルポにてあった日時計のベース部分のスケッチです。

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