アノニマス氏からのEメール#6

これは、アノニマス氏によって2005年11月14日に投稿された6番目のメールの内容です。



あなた方は、いつの日か私たちの情報公開を支えて下さった事で人々から尊敬される事でしょう。本当にありがとう!

私は、信じない人々との対話や議論が、私たちの問題の解決に役立つとは思いません。彼らは私たちの情報を批判する権利を持っていますが、彼らが何を叫ぼうとも最終的な結果に変わりはありません。

イーブ人達とのコミュニケーションを確立する為に言語学者達が行った努力は控えめに言っても数年を要する大仕事でした。また、イーブ人の「宇宙旅行者(トラベラーズ)」の一部グループも、英語やその他の地球言語を学びました。
チームは、トラベラーズと会話を行いましたが、必ずしも相手からの返事が理解出来るとは限りませんでしたが、相手方はチームの言っている事をおおよそ理解していたようです。この頃の情報交換は単純なことばかりでした。

イーブ人達は、チームに何かについて完全に説明をする事ができない為、身振り手振りを交えて説明をしていました。そうしている間に、2人のチームメンバーは、彼らとコミュニケーションを取ることができるようになりましたが、この頃はそれほど重要な情報は得られませんでした。
トラベラーズは数十語程度の簡単な英単語を理解していただけで、完全に私たちの言葉を理解している訳ではありませんでした。その後、私たちの話す英語が複雑になりすぎて理解が出来なくなり「分かりません!」と叫びました。
私たちは、イーブ人の音色による言葉を翻訳することは、とてもとても困難なことだと悟りましたが、彼らの声を録音して聞き直し、音程音色の違いを聞き分ける事で、おおざっぱにイーブ語を理解することが出来るようになりました。
最初は、簡単な物から、例えば彼らの「空飛ぶ乗り物」について、などから会話を始めました。その後、家、食べ物、衣服、太陽、惑星などなどについて会話を行いました。

こうしてある程度のコミュニケーションを確立しましたが、まだまだ未熟なものでした。その為、何か複雑な話題になった時には、会話が詰まりました。
例えば、チームメンバーが事故で亡くなった時、イーブ人達とうまく状況を話し合うことが出来ませんでした。
チームの医者2名は死亡したメンバーの身体を検査し落下事故による即死だと判断し、特に治療は行いませんでした。
最初イーブ人達は私たちの診察を見ているだけでしたが、やがて治療をしたいと申し出てきました。イーブ人達はとても慈悲深い民族で、チームメンバーが悲しみで泣いていると、ある種の医療を試したいと申し出てきたのです。チームの医師達は、彼が既に死んでいるとは思ったのですが、それでもイーブ人達の医療を試してみることにしました。
このやり取りは、身振り手振りを交えて、多少の英語が理解出来るトラベラーズと話をしました。

イーブ人達は、離れたところにある大都市の病院のような巨大なビルに遺体を運びこみ、大きな検査台の上に遺体を置きました。
彼らは、青みを帯びた緑色のビームで遺体をスキャンすると、テレビ画面の様なものに表示が始まりました。画面の文字はイーブ語でしたのでチームメンバーには読めませんでしたが、心拍計のグラフに似ている事は分かりました。でも、グラフのラインは動いていません。医師達は心臓が停止していると思いました。
イーブ人達は、注射針で何かの液体を数回注射しました。すると、心臓が動き始めました。チームの医師達は彼の内臓が損傷している事を知っていましたが、イーブ人達にそれを上手く説明出来ませんでした。
イーブ人達は、自分の胸に両方の手を当てて頭を下げました。チームメンバー達は、それが死を意味すると分かって、もうそれ以上何もできませんでした。イーブ人達は哀悼の意を示しました。
最後に、イーブ人達は彼らの流儀に従って儀式を行いました。その後、チームの一人が牧師となって葬儀を行いました。これにはイーブ人達も参列してくれました。イーブ人達は、私たちの宗教的儀式を知りたがっている様子でした。
チームは、イーブ人達の死者に対する深い心遣いに、いつまでも感謝をしました。

イーブ人達は、シンプルな社会で暮らしています。一家は、夫と妻、そして最低1人の子供で構成されています。ある時、チームは4人の子供がいる家庭を数軒見つけました。
その後、彼らは宇宙探検に出ている家庭(トラベヘラーズ)の子供や、親が亡くなった家庭の子供を育てているのだと分かりました。
チームは、4人のイーブ人が死亡した航空機事故を目撃しました。彼らは墜落現場で儀式を行い、遺体を輸送して検査しました。チームは、イーブ人達が休息している時とプライバシーが必要な時以外は、いつでも彼らに同行することが認められていました。
イーブ人達の死に際して彼らの目は深い悲しみが見られました。
その後、その日の最後の仕事後に、イーブ人達は葬儀を行っていました。少なくともチームには、それが葬儀であると思いました。
イーブ人の遺体は、白い布で包まれ、何種類かの液体が遺体に振りかけられました。そして円形に並び追悼の歌を歌いました。儀式は長時間に渡り続き、最後に遺体は金属製の棺桶に入れられ、居住地から遠く離れた場所に埋葬されました。
埋葬の後に、イーブ人達は祭礼の宴会を開いていました。食事が盛られた大きなテーブルが出され、皆はそれを食べ、ダンスを踊り、ゲームを行いました。
以上がチームが見たイーブ人達の葬儀に関する全てです。

イーブ人達の生活はとてもシンプルです。彼らの家は、粘土質の材質や木材に似た材質、それと金属質の材料から作られていました。どの家も同じ形をしており、その家々は、アメリカ南西部やメキシコなどでよく見られる日干しレンガ造りの家に似ていました。
家の内には4つの部屋があり、寝室はひとつで各自がマットの上で寝ます。それと食事の準備をする部屋(キッチン)、最も大きな部屋はファミリールーム、それと小さな排泄物置き場がありました。

チームは面白い事に気付きました。イーブ人達は、私たちのような生理学的な排泄をしません。彼らは排泄物を家のある場所に持って行きます。
イーブ人の消化機能は、非常に効率の良くできており、彼らの排泄物は、猫のそれと同程度しかありません。また、彼らは尿を出しません。
一方、チームの排泄物は、大便・小便がそれぞれ沢山あり、イーブ人達は12人のチームの排泄物を埋める大きな穴を掘らねばなりませんでした。
以前にも書きましたが、食事はチームメンバーにとって最大の問題でした。
チームメンバーは、、軍用のCレーションを食べてきましたが、いずれはイーブ人の食料を食べねばなりませんでした。
イーブ人達は、様々な食料を持っており、野菜も育てていました。 チームは、ジャガイモに似た野菜を見つけて食べ見ましたが、味は全く別物でした。
また、レタス、カブ、トマトの様な野菜を食べてみましたところ、地球の物とよく似た味がしました。イーブ人達はこの他にも色々な野菜を栽培していました。
長いブドウの様な変わった植物もありました。彼らはそれを料理し、実の殆どを生で食べました。

イーブ人達は、何種類かの白い液体も持っていました。チームは最初それをミルクの様なものかと思い味見をしたところ、味も内容もミルクとは全く違っていました。
その液体は、惑星の北部にある小さな木から採取した物でした。それは、ある種、楽しみに為に飲むという様な感じでしたが、チームメンバー達は、あまりその液体に興味はありませんでした。
イーブ人達は、シチューの様な料理を作ってくれましたが、チームメンバー達は味がないと感じたので、塩・こしょうを使って調味しました。
彼らはパンのような物も焼いていました。そのパンは、イーストを使わない無発酵パンで、かなり美味しかったようですが、チームメンバーは極端な便秘になってしまいました。その為、そのパンを消化するために大量の水を飲まねばなりませんでした。
イーブ人もチームメンバーも好きだった共通の食物は、フルーツでした。イーブ人達もたくさんのフルーツを食べました。どのフルーツも地球の物とは見た目が違っていましたが、甘くて美味しいものでした。チームは、メロンやリンゴのような味のするフルーツを何種類か食べました。

しかし、問題は水でした。惑星セルポの水には未知の化学物質が含まれている事が判明したため、チームは飲む前に煮沸せねばなりませんでした。これを知ったイーブ人達は、チームのために浄水施設を造ってくれました。

チームリーダー(大佐)が書いた報告書では、チームメンバーは、留学期間中(彼は、正確な期間を使用しないように注意しました)の50%は、イーブ人達と交流が出来たということですが、チームがイーブ人達と交流できなかった事がいくつもありました。
イーブ人達は、チームメンバーがスポーツをするためにソフトボール場を造ってくれました。イーブ人達は、よくゲームを見て声に出して笑っていました。(彼らの笑い声は、甲高い叫び声のようでした)
そのうち、イーブ人達もゲームに参加しましたが、どうしてもボールが地面に落ちる前にキャッチすることができませんでした。
チームはさらにタッチフットボールもしました。イーブ人達も、熱心にゲームを観戦していましたし、そのうちゲームに参加しました。
しかし、ソフトボールの時と同じように、どうしてもボールが地面に落ちる前にキャッチすることができなかった、というか、理解できなかったようです。

チームはイーブ人達のプライバシーを尊敬しましたが、チームは生殖行為を見ることを許されました。
男性と女性は、我々と同じような生殖器を持ち、同じような生殖行為を行っていました。性行為の頻度は、我々と同程度だということでした。
性行為は、生殖のための他にも、楽しみとしても行われていました。

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アノニマス氏からのEメール#5

これは、アノニマス氏によって2005年11月13日に投稿された5番目のメールの内容です。


私の情報の公開に関してのご協力に感謝します。あなたがこの問題を注意深く扱って下さる事は、高い評価に値します。
私はいつも急いでキーボードを打つので、よくスペルや文法を間違えてしまいますが、ご容赦下さい。

私は協力者達とこの情報の公表に関するいくつかの異なるオプションについて議論しています。最初に、私たちは当時の職員から何らかの許可を得なければなりません。
MJ-12と呼ばれるグループ、、実はMJ-12は実際にこのプロジェクト・セルポ情報をコントロールしたグループではありませんでした。分かり易く私たちはそれらを「MJ-12」呼びますが、実際にプロジェクト・セルポをコントロール・管理・監視したグループの実際の名前は、________(訳注:原文も伏せ字)と呼ばれました。
既に多くのメンバーは死亡していますが、何人かはまだ健在ですので、私たちは彼らに情報公開に関して承認を取り付けようと頑張っています。次に、私たちは現在の組織に公式の許可を得なければなりませんが、これは少し困難かもしれません。
現在のDIA(アメリカ国防情報局)職員は、この問題についての知識をほとんど持っていません。それでも、私たちは前向きに計画を進めていきたいと考えています。
私たちの主な支持者は_________________です(__________の元管理者)。(訳注:原文も伏せ字) 彼は私たちの近くにいて、私たちの段階的なリリース計画を支援してくれると思います。
あなた方のリーダ、ビル・ハミルトン氏(Bill Hamilton)によるWEBサイトの提案は実に素晴らしい事だと思います。数人の「共同執筆者」と協力をして、私たちはウェブサイトを作り、そのサイトについてのある情報を公表するかもしれません。それまで、私はあなた方だけに公式情報を提供し続けます。
WEBサイトについて、私たちは克服するべき高いハードルがある事を理解しています。きっとそれは良い(良くないかも!)第一歩になると思います。
もしA案を止めるならB案を実行するという具合に、私たちはいくつかの異なる選択肢を考えています。私たちは、国際的な記者会見から全国記者クラブの記者会見まですべてについて議論しました。
さらに、私たちは、あなたに3000ページの中から重要な100件のページを公表し、次にあなたがメールの中で指名した6人の重要人物(________博士、________博士、________、________、________および________)へこの情報を転送するあなたの提案を考慮しています。
これらの人物の中でも、私は、________博士(この人は科学系の学会では大変著名)のような人物が参加してくれる事は、単に輪の中に入ってもらうという意味だけでなく、公開計画に信憑性をもたらしてくれるので、大変重要であることは十分に承知しています。
また、同時に彼らが一般大衆に対して、複雑な科学的理論や物理的な法則の分かり易い解説を支援してくれる事も期待しています。

私たちはあなたに知らせるでしょう。
私は、多くの質問への回答を提供します。私は、3000ページに及ぶ文章と更にそれらを補足する為の長大な資料を持っている事を忘れないで下さい。
私は書類の作成およびデータの報告を受ける事をしていました。私は全ての人の質問に答える事はできませんが、特にUFO系メーリングリストのビル・ライアン氏(Bill Ryan)の質問への回答は準備出来ています。


1)
私は、様々なリストメンバーからの嫌がらせの様な質問をよく見ます。私は、批判ではなく思いやりのある反応を期待しました。
私が提供している情報は、直接公式書から引用しています。しかし、私は、それが地球上の知識や理論に基づいた科学者にとって、理解が容易ではない事は分かっています。
私は、あなたのリストに載っている科学者達からの批判で悩む事はありません。私は、公式文書に書かれているままに伝えているだけなのです。
科学的な計算に関しては、地球上の理論に基づいた科学者が同じ質問をして来ました。彼らは、チームメンバーがどの様な方法で計測したのかなどについての質問をして来ました。
しかし、結局は、科学者達は我々の知っている科学的・物理的な理論だけで、惑星セルポでの問題を解決出来る訳ではないと理解しました。
この様に一旦心を開いた科学者達は、チームメンバーのデータを証明する為に各種の計算を行ってくれました。


2)
私たちに協力してくれた主要な科学者(天文学者)の一人は、カール・エドワード・セーガン博士(訳注:!!!)でした。当初、彼はグループ最大の懐疑論者でした。情報はゆっくりと分析されて行きましたが、すると博士は中立的な立場になってきました。
私は、博士が全データを完全に承諾したとは思っていませんが、それでも博士は最終報告書に同意をしました。


3)
活発な議論は、非常に面白い質問を生み出します。私が答えを見つけられないいくつかの事。
チームメンバーは、惑星セルポで約10年間(地球時間で)を過ごしましたが、彼らは全てのデータを入力するノートパソコンの様なものは持っていませんでした。
彼らは、2台のレコーダーを持っており、可能な限りのデータを記録する責任を負っていました。しかしながら、チームメンバーは全てのデータが報告書に記載されなかった事を認めています。


ビル・ライアン氏の質問

4)
時間に関して。チームメンバーは、いくつかの時間計測用機器(例えば、機械式の腕時計など)を持っていった事は報告書に書いてある通りです。
それらの時計などは動作しましたが、惑星セルポの一日は地球より長い為に時間の基準にはならず、更に夜明けから日没までの時間もより長く、基準となるカレンダーも持っていませんでした。
彼らは、持っていった時計等を移動時間の計測(例えば、セルポの2つの太陽の移動するタイミング)などに用いていました。更に、彼らは仕事と休憩の時間を計る為にも用いていました。
しかし、暫く後には、チームは持っていった時計の使用を止めて、イーブ人式の時間計測を行う様になりました。その為、チームは持っていった10年分のカレンダーが使えず混乱を来しました。
更に24ヶ月後、チームは今日が地球時間の何年何月何日なのか正確に変換する事が出来ないほどの状態になってしまいした。
彼らは地球を出発した時に、大型の時計を準備していました。でも、この時計は電池駆動であった為、電池が切れる度に時計も止まりました。その内にチームは時計の電池を交換する事を忘れてしまい、こうして地球時間が分からなくなってしまいました。
チームは大量の電池も持っていきましたが、5年で使い切ってしまいました。困った事に、イーブ人達は、我々の電池と交換可能な電池の類を持っていませんでした。


5)
チームの持っていった物ですが、電気カミソリ、コーヒーポット、電気ストーブ、DIM(ふっふっふっ)、IBM電動タイプライター、科学計算用計算機、計算尺、データ収集用レコーダー、3種類の望遠鏡、その他いろいろ。
重量の許す限りの物を持っていきました。イーブ人達は、携行物の重量をしっかり量っていました。最大許容量は、4.5トン(9000ポンド)でした。
食料に関しては、軍用のCレーションを持っていきました。こうして10年間に必要な物を慎重に選定したのです。


6)
チーム編成に関する別の質問。なぜ女性は2名だけでしたか?
12名のチームメンバーを選定するのに関係した大きな問題を考えてみて下さい。各人の軍歴を完全に抹消しなければなりませんし、家族、配偶者、子供などが居てはなりません。人選は大変な困難な作業でした。
この様な制限の中、人選グループは、軍人の中から最良のチームメンバーを選出する事が出来ました。人選グループは、はじめに158名を選び出し、最終的には12名に絞り込みました。
この為に、心理学テスト、医学的テスト、その他の各種テストを行った結果、この12名は最良の資質を持った人たちとなりました。
なぜ女性が2名なのかは記述がありませんが、その2名の女性達は医者と言語学者として最良の人材だったとの事です。


7)
イーブ人達の文明は、なぜ地球の文明より高速な進化を遂げたのですか?
これについては、どこにもその記述が見あたりませんでした。しかし、地球に基づいた科学者達は、イーブ人の文化が単に1つの種から成ったので進化が異なる種、異なる言語などから成った文明より急速に卓越し加速したと推測しました。


8)
イーブ人の人口は、なぜ65万人程度なのですか?
チームは、数千人ものイーブ人が先の惑星間戦争で死んでしまったという以外の答えを見つけることが出来ませんでした。
地球に基づいた社会行動学の専門家は、イーブ人文明は、彼らのニーズを調整するための構造を持っていると推測しました。
チームメンバーは、セルポでの物品の配給に制限があるのを見ました。セルポの土地はあまり肥沃(ひよく)ではない為、高層建築物の中で有機式農業を使って作物を収穫していました。
これは公式記録の中で書かれていたのではなく私の推測ではありますが、イーブ人達は過度の人口増加により十分な量の食物や物品を供給できなくなる事を恐れていたのではないでしょうか。


9)
イーブ人達の文化について。 彼らもまた音楽を楽しみのひとつとしていました。音楽は音色のリズムのように聞こえました。また、彼らは歌も歌いましたしダンスも上手でした。ある仕事が終わったことを祝って踊ることもありました。
彼らは、よく円になって歌ったり踊ったりしていました。音楽は、ベルやドラムのような楽器を使って演奏されていました。テレビ・ラジオ放送のようなものはありませんでした。
彼らは、大きなボールを使ってサッカーのようにゴールにボールを蹴り入れるゲームをやっていました。このゲームのルールには非常に奇妙な規則があり、長い時間プレイをしていました。
他にも、子供達がやっていた別のゲームで、グループでフォーメーションを組んでプレイしていました。みんな楽しそうにプレイしていましたが、チームメンバーは何が面白いのか理解できませんでした。
イーブ人達は、テレビもラジオも持っていなかったけど、各自が腰のベルトに小型の装置を付けていました。その装置はやるべき仕事の詳細な指令や、これから起きる出来事に関するニュースなどが表示されました。
この装置は、テレビ画面の様な表示装置がついていましたが、それは3Dの立体表示でした。チームは、この装置を1台持ち帰ってきました。(これは今で言うPDAみたいなものだと思われます)


10)
イーブ人のエネルギー発生装置は、チームによって何度も繰り返して分析されました。しかし、チームは顕微鏡の様な精密観測装置を持っていなかったので、詳しい機能を理解することはできませんでした。
その発電装置は、どのような機器を接続しようとも必要とする電力を適切に供給する能力がありました。チームは、この装置が必要な電力量を自動的に検出して出力を自動調整するような仕組みを持っていると推測しました。
チームは、更なる解析のために、この発電装置を2台地球に持ち帰ってきました。


11)
惑星セルポは、1つの太陽の周りのみを周回していましたが、もうひとつの太陽は、2つの軌道内を回っていました。
以前にも申し上げたとおり、この件に関しては数百ページにも及ぶ詳細な解説文書が存在しますので、それを参考にしてください。


12)
なぜ何人かのチーム・メンバーはセルポに残ったのか?
報告書によると、残ったチームメンバーは自発的に残留を希望したとあります。彼らはイーブ人達の文化および惑星セルポ自身が好きになったということです。彼らには強制帰還命令は出されませんでした。
残ったチームメンバーとの通信は、1988年ころまで続けられましたが、その他の通信はありませんでした。
セルポで死亡した2名については、棺に納められ埋葬されましたが、最終的には地球に返されました。


13)
各チームメンバーは、惑星セルポでの滞在中に規定量を超える放射線を浴びてしまいました。その為、帰還した殆どのメンバーは放射線障害に関係する病気で死亡してしまいました。


14)
イーブ人達は、かつて他の惑星の種族と地球時間に換算すると約100年間ほどに及ぶ戦争を経験しました。
この戦争では、両文明によって開発された粒子ビーム兵器が使用されたそうです。最後にはイーブ人達は敵惑星を破壊し残った敵兵も駆逐しました。
イーブ人達は、私たちの銀河系にある他の数種族の宇宙人達が敵対的であると私たちに警告しました。
イーブ人達は、それら種族に関わらないようにしています。危険が少ないと判断された為か、報告書には具体的な敵対的種族の名称などは記載されていませんでした。


カール・セーガン博士について
1934年11月9日ニューヨーク州生まれ、1996年12月20日骨髄癌の為ワシントン州で死亡。
皆さんも既によくご存じの通り、アメリカを代表する天文学者、教育者、および惑星研究者で、コーネル大学の惑星の研究のための研究所の所長でした。
プロジェクト・セルポの最終報告書は、セーガン博士と共に1980年に書かれました。このプロジェクトに関わったことで得られた知識を元にして1985年のベストセラー「コンタクト」は書かれたと信じています。
この物語は、1997年にジョディーフォスターが主演の映画として撮影されました。

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アノニマス氏からのEメール#4

これは、アノニマス氏によって2005年11月9日に投稿された4番目のメールの内容です。


私の書いた一連のeメールを、匿名のままメーリングリストに転送してくれた事に感謝します、
あなた方が私の名前を秘密にしておいてくれるのが難しいことであることも理解していますが、その時が来るまで私は身分を明かしたくありません。

私は投稿後にいつも皆さんからの反応を見ていますが、たぶん、リチャード・C・ドティ氏の合理的な質問から見て、彼は信頼に足る人だと思っています。
それと、メーリングリストのメンバー達が不思議に感じているあまたの質問にも答えねばなりません。
しかし、全ての情報を総合すると長大な量の資料になることを最初に理解しておいて下さい。
例えば、惑星セルポの公転周期などの軌道計算を行うだけでも数百ページに渡る科学的な計算が必要になるのです。
その為、私はあなた方の全ての疑問にeメールだけで答えることは出来ないと感じています。
我々の科学者もまた皆さんと同じ疑問を持っていました。科学者達は、チームメンバーとメンバーが集めた情報を質問攻めにしました。
科学者達は、惑星セルポの軌道が測定された距離で2つの太陽のまわりをどのように公転することができるか理解することができませんでした。
結局科学者達は、私たちの太陽系の物理的な常識とは異なるいくつかの点を見つけました。
チームメンバーが、安定的な時間計測もままならない状況下で、どうやって自転・公転周期を計測し計算したのか疑問に思いました。
まず第一に、我々の持っている時間計測装置は惑星セルポでは使えないという事を理解して下さい。
それを考えれば、チームがいかに困難な状況下でそれらを計測したのかよく分かると思います。
時計などを使わずに、速度や軌道を計測するには何か別の方法を考え出さねば成りませんでした。

挑戦! 地球で時間を測定することができずに、物理学の問題を解決してみてください!

その為、チームは知恵を絞って地球から持っていった僅かな道具を使い科学的な計測を行う方法を考え出しました。
地球の科学者にとって、他の太陽系や惑星で地球とは異なった物理条件を理解する事は容易ではないという事なのです。
私に送られて来た質問のなかに、ケプラーの惑星運動の法則に関する物がありました。
当然私たちの科学者はその法則を知っています。なにしろ彼らは軍の中でもトップクラスの科学者でしたからね。
しかし、あなたがケプラーの法則であの状況を理解しようとするには、かなりの時間が必要になるでしょう。
また、私たちのチームは単に従来の方法で時間を測定することにしました。
その結果、ゼータ連星系Ⅰ・Ⅱではケプラーの法則がうまく当てはまらない事が分かりました。


※参考資料
ケプラーの法則は、1619年にヨハネス・ケプラーによって解明された惑星の運動に関する法則である。

ケプラーは、ティコ・ブラーエの観測記録から、太陽に対する火星の運動を推定し、以下のように定式化した。

* 第1法則 : 惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く。
* 第2法則 : 惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である(面積速度一定)。
* 第3法則 : 惑星の公転周期の2乗は、軌道の半長径の3乗に比例する。

結論:私たちの地球上の物理学の法則の全てが、全宇宙で通用するわけではないという事が分かりました。

惑星セルポは約30億歳、また、2つの太陽は約50億歳であると推測されました。推測に過ぎませんが。
イーブ人達の文明は、約1万年前から続いていると推測されました。しかし、これは惑星セルポで発祥したのではなく、別の惑星で発展した後、惑星セルポに移住してきたとの事でした。
かつて、イーブ人達の故郷の惑星が極端な火山活動の活発化による危機に直面した為に、約5000年前に彼らは故郷の惑星を捨てて別の惑星に移住せねばならなかったそうです。
また、イーブ人達は3000年ほど前に他の惑星の種族との間に壮絶な惑星間戦争を経験したそうです。これにより数千人のイーブ人が亡くなったそうです。
しかし、イーブ人達は敵種族を完全に駆逐し平和を取り戻しました。それ以来彼らは戦争を行った事はありません。
イーブ人達は、2000年ほど前から宇宙探索をしてきました。地球に最初のイーブ人がやって来たのもこの頃で2000年ほど前の事です。
惑星セルポの人口は、何故65万人程度なのでしょうか。まず、イーブ人の文明は、非常に安定しているという事があります。
イーブ人の男性には皆伴侶がいます。彼らは我々と同じ生殖方法で子孫を残しますが、産んで良い子供の数は厳格に制限され、子供は2人までと決められています。実際、3人以上の子供を持つ家庭はありませんでした。
イーブ人達は、社会的構造が適切に配分・構築される様に、適度な間隔を空けて子供を産むよう、非常に計画的に産児制限を行っていました。
イーブ人の子供は地球人の子供と比較して、非常に早く育ちます。チームは、イーブ人の医師と共に実際の出産に立ち会い、子供の発育過程を観察させてもらいましたが、子供は驚異的なスピードで成長していきました。
イーブ人には科学者も医者も各種専門家もいました。惑星には1つの教育施設がありました。子供達はそこで最も自分の素質に合う技術を学び仕事とするのです。
判断基準が明確ではないのですが、チームはイーブ人の平均知能指数(IQ)が165ほどだと見積もりました。
イーブ人達には、”大統領”的な存在はなく、「知事の委員会」(これはチームが名付けました)という会議があり、この会議で惑星のあらゆるアクションをコントロールしていました。会議のメンバーは、長い間変わる事はないようです。それはイーブ人達が長寿だから?なのかどうかは分かりませんが、少なくともイーブ人達には殆ど老化が見られませんでした。その為、会議の各メンバーが何歳なのかは分かりませんでした。
惑星セルポには、約100の村(?)があったようです。イーブ人達は惑星を用途毎に細かく分けていました。
彼らは、惑星の僻地で鉱物を採掘し、惑星南部の水源の近くには巨大なプラントを作っていました。このプラントは、ある種の水力発電設備的な働きを持っていると思われました。
イーブ人達は、何種類かのタイプの異なる電気式推進システムを使っていましたが、チームメンバーにはあまり知らされませんでしたし、全く理解不能な構造をしていました。 それは真空を利用し、その真空から大量のエネルギーを得ることができました。
チームの居住場所は、数棟の小さな建物でしたが、そこで使用する全電力は小さな箱から供給されていました。この小さな箱の供給する電力で、チームが必要とする全ての動力が十分に駆動できました。
皮肉な事に、チームが地球から持っていった電気機器は、その電力だけを使って作動しました。
チームは、イーブ人達の死も見ました。それは事故や自然死によるものでした。チームは、2機の航空機を巻き込んだ事故を目撃しました。彼らも我々と同じように遺体を墓に埋葬していました。
イーブ人達は、至高の存在を崇拝しました。それはいってみれば宇宙の神に対する崇拝のように見えました。毎日最初の勤務時間の後に教会の様な建物で祈りを捧げていたようでした。
チームは、イーブ人の巨大な宇宙船に乗って地球を出発し、地球の時間で約9ヶ月かけて惑星セルポに到着しましたが、地球に帰還する際には、新型の宇宙船を使い約7ヶ月で帰還しました。

(サイト管理者によるヴィクター・マルチネス氏(Victor Martinez)への補足) “プロジェクト・アクエリアス”の要約

トップシークレット

「プロジェクト・ブルーブック」を含むUFO観測、出来事および政府の政策に関係するほとんどの政府のドキュメントは、FOIAあるいは様々なリリース・プログラムの下の公表されました。
MJ -12は残りのドキュメントおよび情報(「プロジェクト・アクエリアス」とは無関係に、宇宙人の医学的な問題に関する技術的な事実、生きた宇宙人が捕らえられて秘密裏に3年間生きていたという事実。)を公開する事により大衆がパニックになると感じていた。この為SHISによって公表が見送られた。イーブから得た情報は、とてもセンシティブな問題であるので一般に公表できない。
とりわけ、”プロジェクト・アクエリアス(IX巻)”は、遡る事約5000年前の最初の宇宙人地球訪問にも言及しています。
イーブ人は、彼らの先祖が2000年前に地球の文明の発展を助ける為に地球に入植したとも報告しています。
この情報は曖昧でホモサピエンスの厳格な自主性または裏付けとなる情報は含まれていませんでした。
確かに、もしこの情報が公表されれば、それは世界的なパニックを引き起こすでしょう。MJ-3は、”プロジェクト・アクエリアス(IまたはIII巻)”の公開を許可する計画を展開しました。
この公表計画は、将来の開示のために大衆の状態をみながら適度な期間を取って段階的に情報を公開するというものです。
この報告書の付属5には、将来のリリース用のガイドラインを含んでいます。


1.ポール・マクガバン氏(Paul McGovern)によるコメント

時に、人は真実を理解できない事があります。特に保守的・閉鎖的な考え方の人たちは。
1934年5月11日にドイツの科学協会で発表されたアインシュタインの声明を読んでください。
彼の声明は引用しませんが、彼は世界中の無言の人々が新しい考えを彼らの心を止めておく科学者であると言いました。
あなたは、別世界の解釈に自分の科学的知識や常識のみを使おうとしていませんか?
私たちは、その考え方がやがて行き詰まる事を、ずっと前から気付いていました。
前向きに! もし、先ほどの様な考えにとらわれていたのであれば、イーブ人達からの素晴らしい贈り物を決して理解できなかった事でしょう。
私たちには、地球的考えを超越した試行をする事が出来た科学者がいました。私は科学者ではありませんが、広い心を保つ様に心がけています。
私は、先のヴィクターの文書の出所を保証することができませんが、私が数年前に読んだ事と同じ事を言っているのは確かです。
皆さん、どうか広い心を持って下さい。 一旦その心を閉じれば、自分の見当違いの考えに没頭しています….

この件に関する完全な報告書は約3000ページにも及びます。

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アノニマス氏からのEメール#3

これは、アノニマス氏によって2005年11月7日に投稿された3番目のメールの内容です。


チームによって集計された惑星セルポの情報です。


直径 7,218マイル
質量 5.06 x 10^24kg
太陽#1からの距離 平均96,500,000マイル
太陽#2からの距離 平均91,400,000マイル
月(衛星) 2個 地表の重力 9.60m/sec/sec
自転周期 約43時間
公転周期 865日
地軸傾斜 43度
最低気温 6℃
最高気温 52℃
地球からの距離 38.43光年
惑星名称 セルポ(SERPO)
最も近い惑星 オットー(OTTO)
(この惑星にはイーブ人の研究施設はあるが、原生生物は存在しない)
その距離 平均88,000,000マイル
ゼータ太陽系中の惑星数 6個
最も近い生物のいる惑星 シラス(SILUS)
(ここには様々な種類の生物がいるが、知的生命体はおらず、鉱脈として利用している)
その距離 434,000,000マイル

惑星セルポには、地球人以外に9つの星系からの訪問者が来ていました。

イーブ人に似た容姿のグレイ族は、アルファ・ケンタウリAの近くの惑星から来ていました。
アルファ・ケンタウリAは、マイナス0.3等星で夜空では3番目に明るい二重星です。0等星と1.4等星の黄色とオレンジ色の星から成ります。
さらにはるかに弱い3番めの星(プロキシマケンタウリ星と呼ばれる11番めの大きさ赤色矮星)があり、これは私たちの太陽から約4.2光年の距離にあります。

三番目の訪問者は、獅子座のG2星系から来ていました。

別の訪問者は、イプシロン・エリダノス座中のG2星系から来ていました。

チームメンバーは異星人をコードによって分類しました。このコードは、地球外生命体(“Extraterrestrial Entities”)の頭文字からETEとされ、イーブ人はETE-2、グレイ人はETE-3などと分類されました。

「レッドブック」には、9種の異なる異星人が載っています。私たちは、最近になってその内の数種は同じ種族で「機械的な生物」であると断定しました。
これはいわゆる自然に生まれた生物ではなく、研究所で創造されたハイブリッド種でした。それらは知性がありましたが、むしろロボットの様な雰囲気でした。
それらは、時折報告がある「対立的な」訪問者なのかもしれません。

私の知っている限りでは、1985年以降、イーブ人は地球にやってきていません。

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アノニマス氏からのEメール#2

これは、アノニマス氏によって2005年11月4日に投稿された2番目のメールの内容です。


ポール氏(訳注:前ページで2番目のコメントを書いた人物)の書いている事は、正確ではありません。
チームには確かに医者と言語学者の2名の女性がいました。

惑星セルポの夜は完全な闇夜ではありませんでしたが、ある程度の暗さにはなっていました。
惑星セルポは、レティクル座のζ(ゼータ)連星系の中にあり、私たちの太陽の5倍ほどの大きさの太陽が2つありましたが、
それらの織り成す角度は小さい為、惑星セルポにある程度の闇ができました。
また地軸の傾きにより惑星の中心部より北半球の方が涼しいようです。
惑星のサイズは、地球よりわずかに小さい程度で、大気は地球と似ており酸素・水素・二酸化炭素・窒素を含んでいました。
レティクル座ゼータ連星系は、地球からおよそ37光年の距離にあります。
この距離を旅行するのに、イーブ人の宇宙船で約9ヶ月掛かりました。
旅行中に、チームメンバー達は繰り返し起こる酷いめまい、激しい頭痛、方向感覚の喪失などに苦しめられました。
宇宙船の機内は、無重力ではありませんでしたし、機体は非常に大きく、チームメンバーは十分に運動をする事ができました。
チームが惑星セルポに到着後、大気の状態に順応するのに数ヶ月を要したといいます。
馴れるまでに頭痛、めまい、方向感覚の喪失などが起きました。
二つの明るい太陽は更に問題で、彼らはサングラスを常用していましたが、それでも強いまぶさしと過度の日焼けの危険に苦しみました。
惑星の放射能レベルは、地球より少し高い程度でしたが、いつも被爆には気を遣っていました。

セルポ人は工業用の冷凍技術は持っていましたが、日常生活では使用していませんでした。
惑星の気温は、中心部で34℃から46℃ほどで、雲も雨も見られましたが、それほど頻繁ではありませんでした。
惑星の北半球での気温は、12℃から26℃ほどに落ちました。
イーブ人にとってこの気温は少し低すぎた様ですが、北部にも小さな集落がありイーブ人が住んでいました。

惑星の中心部が暑すぎた為、チームメンバーは北半球へ移住する事にしました。
この移動にはヘリコプターに似た輸送機が使われました。
その乗り物はシールドバッテリーのようなデバイスから電力を得て飛行していました。
操縦はとても簡単で、チームメンバーのパイロットはわずか数日で操縦技術を体得しました。
この他、セルポ人達は地上を浮いて走る乗り物を持っていました。
地上を浮いて走行するため、その乗り物にはタイヤの類はありませんでした。

セルポ人達には、リーダー格の人達はいましたが、我々の政府の様な組織はありませんでした。また、事実上、犯罪もありません。
それでも彼らもまた軍隊を持っており、警察の様な役割も担っていましたが、銃など武器の類は持っていない様でした。
各地のコミュニティー(集落)では、定例集会の様なものが開かれていました。
中央にある最大のコミュニティーは文明の中心的な役割があり、全ての工業はこのコミュニティーの中にありました。
また、彼らは金銭という概念を持っていないようで、イーブ人は、必要に応じて物資の配給を受けていました。
お店やショッピングモールなどの買い物をする場所は見あたらず、中央流通センターの様な施設があり、そこで必要な物を貰ってくるのです。
イーブ人は、それぞれの能力の範囲で働いていました。
子供達は、完全に隔離して育てられていました。
セルポで起きた唯一のトラブルは、チームメンバーが子供達の写真を撮ろうとした時でした。
チームメンバーは、軍隊によって写真撮影を制止され、二度としないように忠告を受けたのです。

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